週刊誌のモーニングを毎週読んでいますが、「鬼灯の冷徹は」読み切りの時にファンになりました。
できればまた読みたいなぁと思っていた矢先に、週間で掲載されるようになり単行本化もされ、全部読んでいるのに買ってしまったほどです。
まだ、絵には荒削りなところがあるため、☆4つとしましたが、ストーリーは大変おもしろく、突っ込みどころをハズさないところがまたいいのでは無いかと。
読んで後悔はしないと思いますよ。
このCDはハンガリー狂詩曲、超絶技巧練習曲「マゼッパ」、「鬼火」、「ラ・カンパネラ」等リストの名曲揃いというコンテンツとしてはかなり充実したものとなっている。ただ、残念ながら演奏個々が最高に素晴らしいという訳ではないと言わざるを得ない。
確かに「半音階的大ギャロップ」では技巧性、音楽性共に素晴らしいバランスで弾ききっていて、簡単に言えばGeorges CziffraとJorge Boletを足して2で割ったような演奏で名演であるとは思うが、前述の超絶技巧練習曲でははっきり言って、特に「鬼火」で速度にこだわり過ぎて音楽性が考えられているとはなかなか考えがたい。もちろん、超絶技巧練習曲において重視されるのは技巧性であると仰る方もいらっしゃるかもしれないが、超絶技巧練習曲においても速度、技巧性、音楽性共に両立できるという事もあるのだ。例えばその良い例は小菅優であると思う。彼女の演奏はおそらくFranz Lisztが演奏していたであろう速度に引けを取らず、その音楽解釈は、特に2番と「鬼火」、10番、そしてこのCDには入っていないが「雪嵐」においては素晴らしいものがあると思う。
John Ogdonの技巧性は決して低いものではなく間違いなくかなり高い部類に入るという事は疑いが無いが、特にマゼッパにおいてやや音一つ一つのタッチが大ざっぱである様に感じられた。もちろん他の曲が全てそうではないがあくまで個人的な感想だが音の強弱などに微妙なむらが感じられた。しかし、Franz Lisztのヴィルトゥオーゾ性を楽しみたいのであれば十分満足のCDであると思われる。
兄がテレビ録画したテープを見て驚きました。50年以上生きて来てこんなピアノは聞いた事がありませんでした。私が勝手に思い込んでいるのかも知れませんが本当に偉大なピアニストが出てきたと感じました。多分音楽の世界史に残るであろうと思います。慢心せずこれからも精進されます事、願って居ります。技術、表現力、構想力共天才である事は間違いありません。私も以前音楽をやって居りましたので良く解ります。
小山さんの演奏会
アンコールでは結構、
ピアノを習っていた人なら
誰でも弾いたことがあるような曲を弾きます
あきるほど聴いているはずの曲なのに
新たな魅力を発して 耳に届いてきます。
それはやはり、ただ楽譜通り指を動かしているだけでなく
ピアノの音を一音一音粒立ち良く鳴らして
音の世界を
自分の考えで作り上げているからだと思います、、、
このアルバムの良さは
BGMとして聴いてもわかるのかな、と思います。
フォルテは意外と音は大きくなく
でも華やかで
ピアノは意外と音は小さくなく
存在感があります
クラシックのことはよくわかりませんが
表現力が豊かとは
こういうことを言うのかな、と
個人的には感じました。
これまで表に出てこなかった音源はもちろん、シーザーや森崎偏陸氏のインタビューなども含めて凄まじい情報量です。これ程までの名作が30年間も埋もれていたなんてと愕然とするしかありません。 馴染みの曲が70年代後期のシーザーの編曲によって装飾されてるのは極めて興味深いですし、万有引力期の打ち込み音源でしか聴くことの出来なかった曲、それまで名前しか知らなかった曲、名前すら知らなかった曲など名曲が目白押しです。
シーザー歌唱の曲に関してはともかく良い曲だくらいしか言えないのですが、「子供遊戯七夜の祝」等の日本的な情念とロックが融合したスタイル、ペルシア・アラブ的なイメージから出来た「シルクロード」、シーザーがユーゴスラビアで出会った女性と同棲してたところを劇団に呼び戻されたエピソードから作詞作曲された「巴里寒身」など実に多彩な曲が収録されています。 どの曲を聴いても驚くのがその音楽的センスです。まったく古臭さを感じさせません。
そして今回注目度が高いと思われるのがDISC1に収録された「身毒丸」の原形、「せっきゃうしんとくまる」ですがまさしく原形です。 約25分ほどの作品ですが音楽的に見れば基本骨子はほぼ変わっていません。 「身毒丸」で感じた鬼気迫る迫力とは違い、独特の不気味さ、生々しさを感じることの出来る作品です。 次にDISC2に収録されている「草迷宮」ですが、「せっきゃうしんとくまる」とこの作品を組み合わせて拡大構成したのが舞台、「身毒丸」らしいです。ですがそれは物語構造的な話で音楽的には完全に別の作品です。約35分ほどの作品ですが「せっきゃうしんとくまる」と比べても台詞が多く、どちらかというと単独の音楽作品というよりは完璧に音楽劇の領域です。 その完成度の高さは音だけ聞く限りでは「身毒丸」に匹敵するレベルだと言えるでしょう。 「せっきゃうしんとくまる」と比べると対照的に幻想的な世界観です。 ただどちらの作品にも言えるのですが音質があまり良くないうえに上演台本発見ならずという事でブックレットに情報未掲載なので「身毒丸」や映画「草迷宮」などを知ってないと台詞、歌詞などわかりにくい部分も多いです。
同じくDISC2の組曲「怪人フー・マンチュー」ですが、コーラス主体のロックオペラ的な作品で、寺山的な怪しく胡散臭いイメージが炸裂した名作です。これは台詞が入っていても曲の中の一部のような構成で純粋に組曲形式の作品ですね。一部シーザーも歌っています。音質はそれほど良くありませんが歌詞は掲載されてます。 99年の万有引力の公演を見たことがある、またはビデオを持っている人はその時に使われた曲の約半分はバンド編成だったのが打ち込みに変わっただけでこの組曲の物とまったく同じだと気付くでしょう。
更にDISC3に収録された一時間を越える大作「十字架の蜃気楼」なんですがこれはちょっと凄いです。 島原の乱を題材にして、ナレーションや台詞も入り混じったシアトリカルロックというかロックオペラというか後のシンフォニックメタルに通じるような、79年の作品とは信じ難いかなり先進的な音楽センスを感じさせられる作品です。 馬渕晴子さんの脚本の影響だと思われますが、今までの寺山的世界観の基で作られた曲とは音楽的ニュアンスがだいぶ違います。 脚本や演出、構成によって出す音を変えてくる劇伴音楽家としてのシーザーの本領発揮ともいえる貴重な作品でしょう。収録された作品の中では録音も比較的良く、歌詞も掲載されています。 ナレーションや一部の台詞等は未記載ですが十分聞き取れる範囲内です。 また珍しい所では70年代後半以降のシーザー音楽には欠かせないメンバーであるチューバ奏者の石井弘二さんが何故かメインボーカルを採っているそうです。
上記に書いた一連の組曲系の作品は天井桟敷から根本豊さんや若松武さん、新高恵子さんなどの代表的な役者が参加していますが、その個性あふれる演技も作品に大きな彩りを与えています。
次はDISC4の75年のリサイタルで、これは極一部の抜粋になっているのですが特筆すべきなのが「人力飛行機のための演説草案」でしょう。 73年のリサイタルや過去の市外劇では昭和精吾さんが朗読していた詩ですが、今回は寺山修司氏本人の朗読です。 最初の挨拶から朗読後の拍手までが収録されているのですが、背後で不穏に鳴る音のなかで朗読される詩が妙な迫力を醸し出しています。
最後にDISC5の81年「蘭妖子コンサート」についてですが、これはもう本当に素晴らしいです。 もしかしたら今回の5枚組みCDの中でもベストな一枚かもしれません。 静かで情念的な曲、コミカルな曲、激しいロック的な曲、「惜春鳥」に代表されるジンタ系の曲など全てが素晴らしい。 絶頂期のシーザーによるバンド編成の編曲と蘭妖子さんの歌が組み合わさったこのCDはまさに奇跡的な一枚と言えるでしょう。音質も古いライブ音源としては良好です。 珍しい曲としては寺山ファンには強烈なエピソードがいくつか知られる寺山修司氏の母親、寺山はつさんが作詞でカルメン・マキの「時には母のない子のように」を作曲した田中未知さん作曲の「おど」、シーザーこんな曲書くんだ、と意外さを感じさせるジャズ調の曲「サムタイム・サラジェーン」等があります。
総評として言えるのは何が何でも買うしかないという事。 シーザー、寺山ファン以外にも、ハードロック、プログレ、ロックオペラ、シアトリカル、シンフォニック、日本的なロックなど、これらの単語に興味がある人は買いです。
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