小林秀雄の批評スタイルは、ある作品を前にしてその形式や歴史的意味ではなく、その作者の美意識や人間そのものを語ろうとするものである。勿論、会ったこともない故人達(=ソクラテスやドフトエフスキー、福沢諭吉にヒットラーまで!)の心理なんて客観的に判別することは不可能であり、「私はこう見た」という自分の思い込みと鑑識眼を特権化したスタイルであるともいえる。実際、「こう見た」という単純な結論をグルグル迂回しながら書くので、美文ばかりが読む者の頭を流れて、内容はあまり記憶に残らない。しかしこれは、何度でも読んで楽しめるという思わぬ効用を読む者に与える、ということだ。
下手な人間がやると嫌味にしかならないこのスタイルは、多くの模倣者を生んだが、後継者は生まなかった。それは、小林の批評家としての眼が卓越していたからである。宣長を論じながら殆どソシュールみたいなことを書いている「言葉」、フロイディズム批判と(武田泰淳的)司馬遷観が力技で錯綜する「歴史」、現在流行しているアニメ論と較べても卓越したディズニー分析である「漫画」、など本書所収のエッセイには読み応えのある内容のものが多い。
「世間は新事件と新理論を捜していて、青年なぞ必要としていないのではなかろうか」
(=ヨット好きが高じて太平洋単独横断を敢行した堀江謙一に対し、何千回も「なぜ、こんな冒険を行ったのか」と繰り返し聞く世間を評して。「青年と老年」より)
こんな名フレーズが満載のこれらのエッセイは、40年経っても全く古くなっていない。なぜなら、小林が書こうとしていたのは、人間が普遍的に持っている、何百年経ってもそう簡単に変わらない性質のものばかりだからだ。そして、彼が名人芸で書き出す普遍性というものは実際に結構的を得てしまっているだけに、単に新たな批評スタイルによって表層的に乗り越えられるものではない。そんな試みは文芸批評という死に絶えて久しいジャンルで細々と行われ続けられるだろうが、もはや陽の目を見ることは決してないだろう。なぜか。小林秀雄の文明批評が既に古典に成りかけているからである。そして、古典というのは常に新しい。
本当にこれは人形劇の枠を超えたすばらしい作品だと思います!人形の動きもさることながら、声優人が少ないながらも、あまりそれを感じさせないほど、それぞれのキャラクターを豊かに演じ分けていると思います!歴史作品に疎い私としては、今までで一番源平物語がよく分かり、また、同じ人形、声優を使って、源義経主人公の作品を作って欲しいと思いました!
先に、おなじ平幹二郎のベスト版を聴き、 もっと詳しく聴きたくなったので購入。
ただし、浩瀚なる平家物語だけに、本CDによっても、 ポツポツとお話を拾う感じになり、 耳から聴くだけで物語を追えるわけではない。
祇園精舎、殿上闇討と続いて、一つとんで禿髪、またひとつとんで・・・という具合。 ときにはもっとすっとんでしまう。
しかし、そうしたことを知って聞けば、 充分に楽しめる内容である。
吉川英治版『新・平家物語』の短縮英語訳。どれほどの短縮具合かというと、元は文庫本で全16巻の話、と言えば推して知るべし。平清盛の出世話に焦点が絞られて訳出されております。英訳の質について喋々出来るほどの英語力はありませんが、原文の方が美しく感じるのは、実際そうなのか、我が母国語が日本語だからというだけのことか。ともあれ、歴史小説好きで英語が読める方、お薦めです。歴史小説で馴染んできたあれやこれやの用語が「英語ではこう来るか〜」とホウホウ面白がりながら読めますし、外人に日本史の話をする時にも役に立つかも(←無理やりか?)。
ちなみに私は吉川平家を中学生の頃に図書館から借り出して読みましたが、鮮明に記憶している下りがあります。比叡山の悪僧が神輿を担いで都に強訴に押し入る場面。悪僧に立ち向かうは平清盛。「神輿に矢を向けるとは血へどを吐くぞ!」と脅された清盛は「血へど、吐いてみたいわ!」と返してシュッと矢を放つ。中学生の私は「キャー」と興奮して、ここはマイ名場面となりました。英訳を見たらば、「血へど吐いてみたいわ」は「So be it!」となっておりましたです。「ままよ」ってな感じですか。ガッカリするよな納得するような。古典級の小説の翻訳は大変ですね。
全16巻には、なかなか手が届かなかったのですが、大河ドラマ「平清盛」が始まったことを契機に、今年の元旦から半年かけて読みました。平家物語のように、源氏の視点から記されたものではないので、平家物語の新たな解釈と考えないことです。名だたる源氏平家、天皇家、公卿の栄枯盛衰のドラマ、男女の愛の高みは、作者の語彙の豊かさ、格調の高さと相まって大変心打つものがあります。清々しい読後感と余韻に浸っています。 ただ、作者がこの物語の主人公として設定したのは、創作上の、歴史には名を留めない市井の人物「阿部麻鳥」と妻「蓬」に違いありません。激しい時代のうねりの中で、功名富貴から離れ、ひたすら誠実に、人としてすべきことをして生きることの尊さ、人としてどう幸福に生きるか、ということに対する作者の答えがそこにある気がします。 作者吉川英治氏がこの物語を書き始めたのは50代後半から。私も同じ年齢ですので同感する点が多々あります。長編ですが、生涯においてぜひ一読すべき小説です。
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