ではなく、「恋愛に歳は関係ありません!}と、つきこさん。「・・その反対だったら?」と、先生69才。携帯電話を持たされてしまう先生。なかなか目的が達せられないふたり。随所にあったかい笑いがちりばめられ、観て得する感じな舞台です。細かいお楽しみはご覧になって下さい。最後まで久世音楽座?の出演者ご一同に満足まんぞくでした。
どうと言う事のない、普段喰ってる物の話で、特にあそこの何が美味いとか、あそこのシェフはこういう工夫をしてるぞ、とかいうウンチクグルメの話ではない。
ふらりと立ち寄った店、買った駅弁、デパートの屋上のうどん。
たった一人でする外食。
わびしいか?寂しいか?
主人公の台詞が帯になっている
「モノを食べる時にはね 誰にも邪魔されず 自由で
なんていうか救われてなきゃあ ダメなんだ
独りで 静かで 豊かで・・」
たくさんの人間で囲む食卓の楽しさは格別だが、独りで静かに食う飯には「癒し」があるのだ、とまあ大げさに言えばこういうことらしい。
独り月下を散歩するような、静かなドラマに溢れているこの作品は、何ともいえない風情で、グルメ漫画というカテゴリからはみ出している。
大好きな作品だった「神様」。そこに「あの日」以後が追補された。
この2011年版が、「あの日」以前に記されていたら、それは、超現実的な日常を描く、川上さんにふさわしい作品として、普通に読めていただろう。
だが、「あの日」を体験してしまった我々は、2011年版を現実として読む。昔から、川上さんが描いていたような、超現実の世界が、「あの日」以来、日常となってしまった異常を、まざまざと感じてしまう。これが現実の日本なのだ。
そこのとを、2011年版は伝えてくる。
累積被曝線量を気にして生きる、くまと、わたし。二人と同じように、こんな悪夢のような日常を過ごさねばならなくなった我々。
現実には、放射能被害の予見は「あの日」以来、過少に広報されるようになった。
原発事故が起きるまで、人体への影響が一定程度、確実に起きることが学問的に示されていたにも拘わらず、事故後は、「そういう未来は見ないでおこう」「補償額が莫大になるので、積極的に知らせないでおこう」とする、楽観的な空想を、我々は押し付けられるようになった。「神様」きどりの政府や電力会社によって。
現実の方が、小説よりも空想的な。とても喜べない現実が、今我々が生きている日本で起きているわけだ。
川上さんは、作家の立場で、強いメッセージを伝えるために、2011年版を追補したのだろう。超現実を描いてきた作家が、初めて描く、現実の日本。祖国日本に対する、作家のメッセージの重さを受け止めねばならないのが、この2011年版だと思う。
専ら徳兵衛が追い込まれる経緯が描かれるこの作品を、徹頭徹尾お初の側から描いた物語。有名な封印切りの場面すら全く描かれない。恋とはどういうものか、そのすさまじさを際立たせるために、徳兵衛が有罪であったことまでにおわせるコペルニクス的転回に驚かされるが,同時に作者の筆力に圧倒させられる。
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