高橋和己という作家を知ったのは最近だった。
「邪宗門」が読みたかったが、見つからなかったので、この作品を読んだ。
一読、今の小説には見られない観念的かつ政治的な文章表現にくらくらしながらも、
そして、無数に欠陥と思われる部分を感じながらも、なにか胸を打つものを
同時に見いだせたのは確かだった。
かつて正しいと信じ没入した価値が、ひっくり帰ったとき、私たちは、
そのかつての自己をどのように受け止めればよいのか。
そこに答えはなく、だからこそ文学があるのだ。
もはや底が抜けてしまった現代日本においてここにリアリティーを感じるのは
難しいかも知れないが・・。
だから、この作品は、大文字の「文学」を感じさせる点で古くさく、
だからといって、読み継がれる古典にもなりそうにない。
忘れられている現状は、おおむね妥当であるように思われる。
それが作品のテーマと重なり合っているようにも思われるのは皮肉であるが、
しかしそういう意味では逆に筋が通っている作品と言えるかもしれない。
なぜなら、それを担保する比類無い誠実さがここにあることは間違いが無いからだ。
私は小熊英二氏の著作(民主と愛国、戦争が残したもの)によって著者を知ったが、その生き方には強くひきつけられた。その鶴見氏も、埴谷雄高の生き方に相通ずるものを感じていることが、この本を読んで伝わってきた。鶴見氏のジャワにおける戦争体験、埴谷氏の獄中での転向体験は、この本を読む、特に若い読者に、何か自分も同じ経験がある、と感じさせるところがあるのではないだろうか。私は埴谷氏の著作をまだ一冊も読んでいないが、これからの時代を生きるにあたって、今とはくらべものにならないほどの混乱した時代を生きたこの先人の著作を読むことが、何かの指針を得ることになるかもしれない、と思っている。
雄高と言えばYEAH!『死霊』っすが、『死霊』以外のレァ〜な小説作品を集めたものが『虚空』っす!戦前に書かれた『洞窟』をはじめ、澁澤龍ちゃんも誉めまくりな『意識』、ポォの『メェルシュトレェム』へのオマ〜ジュとしてマブなフレンドの花田清輝兄と競作って書かれた『虚空』、雄高の政治&革命思想モロ出しな『深淵』、そして雄高風難解This Is ハニーヤ!な会話文の魅力活かしまくりの雄高レァ戯曲『標的者』の前5篇っす!『意識』の金魚の目蓋に始まる眼球実験や『虚空』の旋風の考察など、雄高妄想FULL活用で楽しめまっす!にしても雄高の文章って密度濃濃で難解なのに詩的なんで俺的にはすげぇ脳髄に来る解りやすさ湛えまくりっすねぇ〜ぇぇぃ…この本と『闇の中の黒い馬』とで『死霊』以外の雄高小説はALL網羅っすので、大変揃えやすMAXっしょ!ただ価格微高めっす!でも値段分のサイコッ!感味わえますんで、あえて星5つのままっす!雄高サイコサイコサイコッ!YEAH!!
一昨年亡くなった池田晶子さんが、いみじくも言っていたとおり「死霊」は童話です。誤解を招く表現かもしれませんが、多様な感受性を喚起するという点において、この作品はファンタジーだと思います。マルクスとかドストエフキーは、あんまり気にしない方がいいかも。
長らく正当に扱われることなく、悪名のみが妙に流布していた『敗戦後論』。その著者は『敗戦後論』の後、何を考えてきたのか。その後、その書に関連して書かれた著者の文章をこの本で読んでみれば、少なくとも15年前よりは、著者の言わんとするところが読み手に届く余地は広がってきているのかな、と思う。
先行世代から著者がかつて受け取り、長い思索を通して著者なりの観点からここに示された「戦後」を、著者の後続世代となる評者などはどう受け取り、どう渡していけばいいのか。「ここに書かれていないこと」がもし指摘できるとすれば、それは著者にねだるべきことではなく、読み手自らが考え、自らが語らねばならないことだろう。
その意味で、文芸評論家である著者は、「評論家的立場」ではない形で考えることを、読み手に促しているとも言えよう。
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