人を貶めることは人間の最低の行為の一つだと思う。嫌いな人間が落ちぶれていく様を見るのは楽しいが、そう感じる自分もさもしく感じる。
でもそれが快感でたまらないのだ。シリーズ第十作目の信長の野望はそういう世界である。「下克上」がテーマだけにプレイ開始から終了まで権謀術策の黒が渦巻いている。
今までのどのゲームも実現できなかったものを実現した画期的作品だ。
今回から初めて政略フェーズと攻略フェーズの二つに別れた。
政略フェーズは季単位だから、一回のターンで多くのことをこなさないとならない。そして、その多くのほとんどは権謀であり術策である。というよりそれ以外やることがない。内政は奉行を配置すれば勝手に進み、軍事にいたっては訓練のコマンドも消滅し、兵種も!歡将それぞれ一つしかないので選択の余地がない。
戦闘はリアルタイムだが、野戦で一回に投入できるのは三部隊のみ。兵力、士気、兵種間の相性を考えながらタイミングよく、部隊を投入しなければならない。初めは戸惑うが、なれるとこれはこれで面白い。ただ攻城戦は何もすることがない。プレヤーの巧みな采配などは発揮する余地がほとんどないのだ。戦いは戦いの前にすでに決しているべきだというのがこのゲームでの一つの哲学なのだろうか。
だからといって退屈する暇などない。その分、他にやることは多いし、やれることが著しく増加した。
例えば、むかつく城主や軍団長がいれば、自分も共に立つからと謀反をそそのかし、いざとなったら自分は立たない。それどころか、そいつが反旗を翻したとたん、居城を急襲する。そうすれば主家での立場が上昇し、軍団長の座も巡ってくるかもしれない。
あるいは発言力を高めることで、主家の姫をもらい、世継に指名させ、挙句に主人である大名を隠居させ、主家乗っ取りを計ることもできる。
でも逆に誰かが自分を貶めようと謀略を張り巡らしているかもしれない。
こういった感じで、戦術性が大胆に切り落とされ、戦略性が極めて突出しているのがこのゲームの大きな特徴である。戦場で指揮を取る華やかな武将よりも、松永久秀なんかが好き!といった人にはたまらないゲームだと思う。
逆に合戦が戦国ゲームの華!と考えている人はPS2の「決戦」やアートディンクの「関が原」なんかを買ったほうが良いだろう。