NHKのラジオ深夜便で紹介していたので読んでみました。 主人公は、近所で有名な野球が上手な小学5年生で、 生活の中心に野球と長嶋茂雄がいて、あらゆる困難に立ち向かってゆきます。 文章は、少年本人が書いているかのよう感じを受ける箇所がたくさんあります。 私も野球少年だったので共感し、涙なしには読めませんでした。 昔、野球少年だった人は、少年のころの純真な気持ちを一瞬取り戻せるかもしれませんよ。 おすすめします。
父親でもあり、夫でもあるという諸兄に、お子と一緒に読んでいただきたい一冊。実にシンプルな物語の中に、男子たるものという原点が凝縮されて表現されているように思いました。
北村太郎も田村隆一もそしてねじめ正一も、不勉強でよくわからない状態で手にとりました。
その時代、昭和初期に生まれ戦争に行き、そして戦後の時代を作った人たち。 彼らの中には今の時代に生きている我々より、情熱やあきらめやデカダンスや粘り強さが ある。そして生きることに対する態度が違うと思うのだ。 これは詩人であり社会人であった北村だけが持っているものではなく、おそらくその時代の 色として皆が持っていたものだと思うのである。
53歳で妻以外に恋をして、でもその一途な情熱はこの小説からは熱くは伝わってこない。 また、妻に対してのおもいやりはなく、20年も一緒にいた年月は意味がないのだと思い 知らされる。「人の気持ちは変わっていくものだ」 その後に繰り広げられる北村の後半の人生は、詩というよりは、翻訳と生活が中心なものに なっていく。 それでも彼は人生に淡々と立ち向かい、日々をすごしていく。 明子との出会い、阿子との出会い。全てがすばらしく、彼の生活を彩っていくが、でも淡々と すごしていくのだ。
だがこの生活の中から彼は詩を生み出していく。 これが不思議なのだ。 詩人は詩人としての生活や思索があるわけではないのか? 我々とは違う生活や人生を通してあの詩が生まれるわけではないのか?
人生で与えられている時間は全ての人に平等である。 その中で何を生み出すかは全ての人に与えられた自由であり、彼らはたまたま詩であったの だと。
作者の渾身の情熱が伝わるすばらしい作品。語り口もすばらしい。
「詩」や「絵本」を読んでその美しさを理解できない人間です。P.188から190の「ひどい詩」と著者のお勧めの優れた詩との違いもそれほど落差なく感じてしまう人間です。 俳句も、私にとってはその善し悪しが分からない世界で、「春の虹」や「秩父山」に関する解説も、その微妙な違いが「そういわれてみれば」という世界でした。 が、著者の自分の気に入ったものを薦める情熱のようなものを感じさせてくれる本です。詩や絵本には縁はなく、その芸術性も理解できない人間ですが、著者の情熱に撃たれながら退屈もせず読了した次第。 う〜ん、レビューになっていないかな?
商店街の中で住んでいる人には当たり前の暮らしも、それ以外の人達にはどう感じられるのだろう?
商店街に暮らす人々を温かいまなざしで丹念に描いてるし、 個人的に主人公を取り巻くシュチュエーションが凄く似ているため、 感情移入して一気に読んでしまいました。面白い!よく雰囲気つかんでます(笑)
まだまだ、日本の中にはこの話に出てくるようなまちが残っています。 たまには、ご近所の商店街のおじちゃんおばちゃんとやり取りしながら買い物をしてみたらどうでしょう?
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