さすがCLAMP、とりわけ大川七瀬さんのいわゆる「萌え」の設定から入って、最後にひっくり返す脚本は、ほれぼれするなぁ。最終回の設定は、まぁ1巻から予測はついたが、『魔法騎士レイアース』を思わせる脚本だ。スパッと、短く終わったところは、描きたいテーマのみを描いたっていう潔さがあってよかった。ごみ捨て場で拾ってきたちょーかわいい女の子の形をしたロボットを拾ってきて、色々なことを教えていくという思わず、育てげーの名作『プリンセスメーカー』を思い出させる、ヲタクの秘孔をつく設定。
けれど、その愛らしい彼女とずっといるためには、無償の愛を捧げなければいけない。ようは欲望が否定されているんですね。無償で純潔な愛がテーマですね。他の評者が言っているとおり、この秀樹の選択は、男としては、わかる、わかるぞぉ!!(笑)。けれど、ちいちゃんがある設計者に開発されたモノである事実が疑えない以上、設計者のエゴイズムにある青年が引っかかっただけ、という穿った見方もできなくない。ようは、機械(設計されたプログラム)に、唯一性を認めるか認めないかということなのだが・・・・。こういう設定は、読者に「愛とはいったい何なのですか?」という答えのない問いを迫るので、ちゃんと読めば、けっこうエグイ話です。ちいちゃんのあまりのかわいらしさに、そういう脚本がぶっ飛んでしまうところも、すごいなぁ。脚本と絵の書き手が分離しているCLAMPでしか起きない感覚ですね。
機械の擬人化をあつかった作品は、アイザックサシモフの提唱したロボット三原則に縛られるが、それをパソコンという名称にすることによって回避するというアイディアも秀逸だった。
それにしても青年誌で、ちぃちゃんのあれほど煽情的なひきつけ方をしつつ、スーパー少女マンガにしてしまうあたり、CLAMPにまたしてやられたり、と思いましたねぇ。彼らは、メディアのメタ的な部分をよく理解しているなぁ、といつもながらに感心してしまう。出来上がった売れるための黄金パターンを意識的に取り入れて、それを内部から壊す手法には、脱帽です。