指の切れそうな弦の軋み、飛んでいきそうな明るいリズムと亡き友に捧げるバラード。いつだっていつまでだって、君には傍にいてほしい。これがレッサーパンダイズム。
姪っ子がとても喜んでくれました。サンタさんからのプレゼントです♪
可愛いですよ~♪ 自然な表情や、暑さでデローンとへばっている姿とかが何とも可愛くて、何度も見てしまいます。 私はレッサは四足で歩く方が可愛いと思っているので、とっても満足です!特典のシールやポストカードは使うの勿体無いです(笑) 立ち姿が見たい人には向かないかもしれません。
2歳の息子がレッサー・パンダが大好きで、ぬいぐるみを放しません。動物紹介のDVDでもレッサー・パンダのシーンばかり見たがかりますので、レッサー・パンダだけのDVDを探していてこの作品に出会いました。 すると、単にレッサー・パンダの愛らしい姿を映したDVDではなく、動物園で飼われていたレッサー・パンダを自然に帰し、見守り続けた内容で、大人が見ても退屈しませんでした。 動物園でのレッサー・パンダの様子を映しただけのDVDとは全然違う、本当のレッサー・パンダ、自然の中で一生懸命生きる姿が映し出され、ぬいぐるみではない生き物としての真の姿を見られる貴重なDVDです。 レッサー・パンダが大好きな子供たちに観て貰いたい、そして生命の尊さを感じて貰いたいと思います。
「障害者が加害者だから無罪にしろ」という主張なのではない。
高機能自閉症(アスペルガー症候群)や自閉症の者が犯罪を起こす率が健常者(そんな線引きが可能だとして)に比べて多いとか少ないとかいうことでもない。障害者=同情すべき人々という短絡的な括られ方を恐れてか、はたまた責任追求が可能かということ以外触れる必要がないからなのか、犯罪報道でこのことが伏せられ、そもそもどんな障害なのかという認識も含め、一般社会に暮らす人々にはほとんどその姿が伝わらないことが問題なのだ。新聞やニュース段階の報道ではほとんど表に出てこないし、書籍の形では一部の人にしか届かない(それはこの本も同様だが)。
作者は加害者のレッサーパンダ帽男を庇おうとしているのではない。それどころか、被害者の両親とも話し、どんな立場に立てばいいのかという板挟み状態の中で、誠実な態度を取ろうとしてきた。加害者の家庭状況も同様に、犯行の理由にできるわけではない。こんな犯罪がもう二度と起きないために、裁判は根源の問題をきちんと見つめるべきではなかったかという主張なのだ。本当なら、どこかでこの犯罪の元の根を断つことができたかもしれない(それくらい加害者のことを思っている者が皆無だったわけでもないのに)、その可能性を探りたいという願いなのだ。
さらに、この事件がきっかけとなって加害者の妹(若くして重病に苦しめられていた)に向けられた救いを描いた最後の部分は、この本がなかったなら知り得なかった真実であった。被害者の女性の生涯だけでなく、この妹の人生もまた、この事件に大きく左右されることになった。皮肉にも、それまで男が犠牲にしてきた彼女の幸せを他人の手で与え、最後の瞬間になって初めて充実した生を生きることを可能にするという形によって。
|