杉本フィクサーごろくんのもんまり動画王国

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America the Beautiful / If I Can Dram 「明日への願い(If I Can Dream)」「美しきアメリカ(America The Beautiful)」「至上の愛(Amazing Grace)」の順に3曲の音声と、68年『カムバック・スペシャル』のエンディングより「明日への願い」を熱唱するエルヴィスの姿をハイブリッド版の動画で、それぞれ収録した、アメリカ赤十字の対同時多発テロ・チャリティー・シングル。

動画の表示画面は大きく、画質の美しさも(オリジナルの状態を考慮すると)予想以上のもので、これまでに他の映像ソフトで見た時同様、十分に感動が伝わってくる。
実のところ、この動画の収録をこの盤のメインと考えて購入された場合でも、十分に満足していただけるのではないかと考えている。


相撲のひみつ  著者は、東大相撲部の部長、つまりは、相撲好きのアマチュアです。相撲の成り立ちやら裏話やらをマニアックに解説する本ではなく、パンフレットというか図鑑というか、そんな体裁です。110ページでサイズもやや大きめ、図や写真も多く、基礎的な内容。
 曰く・・・
 相撲の世界はランキングの世界。序の口、序二段、三段目(すんなり三段目に上がれるかが関門)、幕下(待遇改善)、十両(ここから「関取」とよばれる。倍率10倍)、幕内、小結、関脇、大関(倍率100〜150倍)、横綱。ちなみに、序の口〜幕内まではみんな公式には「前頭」。
 行司は進行役。審判として最終責任者は土俵下の審判員(親方衆)。
 江戸時代から昭和初期までは東西力士は、同じ陣営の力士とは対戦しなかった。もともとは東西戦(団体戦)だった。
 年寄(親方)は、プロモーター、マネージャー、コーチとしての側面があり、もともとは興行師たちが本場所という大きな興行を打つための同業組合の参加資格として成立した。今では、相撲協会の一員。
 相撲に似たものは世界各地にいろいろある(モンゴルのボフ、韓国のシルムなど)。おそらく、相撲のルーツを1つに局限することは無理。いろいろな格闘技から醸成されていったのではないか。
 平安時代は、相撲節(すまいのせち)があり、相撲人をあつめて天皇や貴族の前で試合をした(土俵なし)。そのうち、私邸で相撲観覧を催す貴族皇族も出てくる。また、平安後期には寺社の祭礼において、神楽や田楽といっしょに相撲を催すこともあった。こうして、本場の技芸が地方にも伝わっていくとともに、相撲人の活躍の場も広がり、プロ化。頼朝や信長も相撲観覧を楽しんだ。江戸時代になると、大名たちはお抱え力士を大相撲という興行に送り込むようになる。相撲興行が行われるようになったのは室町時代。江戸時代になると、チャリティ(勧進)に名を借りて興行を開催。儀礼作法も整えられ、興行は定期化する。日頃は各地で小規模な独自興行をおこない、年に4回、本場所を開催するというしくみができたのは江戸時代半ば。
 土俵ができたのは、江戸時代の半ばごろ。「押し」がわざとなった。
 相撲のルールはやや不文法的。髷をつかむなど「反則負け」は定義されているが、それ以外はセーフ。ラリアットとか立会い変化は、ルール違反ではないが褒められない(合法だが不道徳?)。土俵上でやっていいこととやってはいけないことの「イメージ」が共有されて成立する。
 などなど。

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