これ程までに、内田有記さんの魅力を引き出せた映画は無かったのではないでしょうか? 9歳年上のスーパーの総菜売り場の女の人が忘れられずに、、、(ほんま?)。この額子なら納得です。 美しい。白髪でも美しい。体に障害を持っても美しい。 ぶっきらぼうな言葉やたばこが全く下品にならないのは彼女ならでは。 不器用で、表現下手な心の内面が判る良い演技でした。 成宮くんとの相性もバッチリです。 人間の弱さ・挫折・再生という普遍のテーマを上手にドラマ化しています。 3回もみてしまいました。良い映画です。
前作「海の仙人」の余韻が消えることなく残っていたのか、思わず手にした本でした。 書評の純愛に関しては、これがまさに純愛だと思う人もいれば、こんなのは純愛では無いと思う人もいるだろうし、各人のとらえ方によって異なってくると思うので、この作品=純愛とは、言えない様に思う。 しかし、この作中の男女には、まさに絶妙の距離感が有り、二人の不即不離の関係がたまらない感を与えているように思う。 互いの存在が互いの心の片隅で、常に消えることの無いものとして色濃く描かれていて、作中脈々と流れている。 前作「海の仙人」でも感じたが、この作家さんは、人と人の距離感を実に上手く描く人だと、改めて感心させられた。
『沖で待つ』を読んで、作者糸山秋子さんて、すごく仕事に燃えてたんだなぁ〜と思った。
主人公や同期の太ちゃんにしても、仕事に120%追求しているから、あんなに素敵な友情が生まれるのだと・・。 20〜30代にかけて仕事に全力投球している人に多くの共感が強く持てる作品だと。 同期としての強い絆。太ちゃんが、具合を悪くして熱を出し主人公が彼の為に、得意先(お客様)まで運転し、太ちゃんが助手席に座っているシーンがとっても好きな場面。 同期の為なら、なんだってする・・・・。 厳しい環境におかれるこそ、強い絆が生まれ、成長できるんだよねと。 私自身も、かけがいのない仲間(同期)がいて。久々に、ゆっくり電話してみたくなりました・・・。 同期(仲間)て、めちゃくちゃ大事ですね・・・。
本当に優しい歌声。
前向きに、強く、そして切なく歌い上げる事ができる素晴らしい歌姫だと思います。
昔から名曲が多いのに、いつの間にかひっそりと消えてしまったshela。
久々の復活に感動しました。
ちなみにSTARTは名曲です!
壁に貼られた街で撮った写真。硝子の器で泳ぐ二匹の金魚を見詰める躁鬱症の女。 とにかく最後まで眼を離せなかった。 ヒロインを演じる寺島しのぶの魅力は、云うに及ばないであろうが、不惑を過ぎた豊川悦司の自然体を呈する芝居も何とも優しく華々しかった。 劇中、ヒロインが両親の七回忌の席で「私は精神病院に入退院を繰り返しておりまして」と、 親族に淡々と打ち明ける場面がある。 同情しにくい被害者ならぬ「破綻者」など、安易な探偵趣味でいくらでも潰せるにも拘らず、だ。 必然的か、どうかは判断に苦しむが、人間の善行に絡むべく半ばいやしい「陶酔」とやらを破壊する、潔癖性や手探り、 また、それとは翻り、自己を振り返ることもなく他者の汚点を探る、潜在的説教根性などは対人関係を粉々にする。 その倫理的なものたるや時代思潮など斬り捨てる永劫の現実だろう。 精神病棟入院患者に眼を向けてみると対家族関係には大きく3つのパターンに分類されている観がある。 すっかり断絶され国の厄介になっている者。 頼んだ品だけ鉄の扉越しに看護師伝いに手渡される者。 そして見舞いに来る献身的すぎる家族の顔が、実年齢よりひどく老けている者。 「心の捻挫」とは、理性と感情の埒外にあり、神経を通り、時に暴走するものだと思われるが、ヒロインが隔離されてゆく閉塞感と、 持ち前の明るい性格の混雑に悶えている街の狭間で、 同情を乞うためにする打算的な言動の数々が、 何とも哀しいリアリティーに溢れていた。
銭湯に浸かりながら最後に聴こえてくる幻聴。 頬を伝うもの。 それを「恥」とばかりに幾度も湯で洗い流そうとするシーンに、それでも現実は変らずにずっと続いてゆくものなんだと熟知しているかのような、美しき少女の悔し涙を垣間見て、 いつまでも尾を曳いた。
|