死んだはずの大門ちゃっかり復活。頭と記憶が整理つかないまま話は進んでいきます。以前にも巽死んで鳩村として舘ひろし復活ありましたが今回は同キャラですから。コレ出すなら旧作DVD単品売り希望です。
これは、ひとつの日本人論であり、日本文化論である。本書の主人公池田武邦氏は海軍兵学校を出た元海軍士官。巡洋艦「矢矧」に乗艦して、マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦を戦い抜き、戦艦「大和」とともに出撃した沖縄水上特攻では、矢矧沈没後、5時間の漂流の後に奇跡的に救助された。 戦後、東京帝国大学を卒業して建築家となり、霞が関ビル、京王プラザ、新宿三井ビルなど超高層建築の設計を次々と手がけ、日本の戦後復興、高度成長を牽引した。 ところが、池田氏はある吹雪の夜を境に自らの建築哲学を180度転換する。近代建築が自然の摂理を無視したものであることにはたと気づいたのだ。その後は、一転して環境を重視した建築に取り組み、長崎オランダ村、ハウステンボスなどを設計、ついには大村湾沿岸に茅葺きの家を建て、囲炉裏端で生活するに至る。 自然に対する作法を頑として守り、日本の風景を守るため格闘を続ける池田氏。その人生航路を丹念に追ったノンフィクションである。 本書によって初めて、ハウステンボスという街が、惑星直列のような、何十年に一度しか起こらないような、芸術作品だったことがわかる。
突然、平和な学校を襲った前代未聞の凶悪事件。何の罪もない子を理不尽に失った遺族に、追い打ちをかけるメディアスクラムや、司法解剖時の配慮の足りない対応。いまだ起こった事件が事実だと思えないほどの心理状態にある遺族に、つぎつぎに求められる各種事情聴取への対応や書類への署名。遺族は何よりも事実を知りたいと思っているのに、その肝心な点での情報提供が欠落する。……こうした境遇に置かれた犯罪被害者遺族に、周囲はどう寄り添い、どうやったら力になることができるのか。
体験談だけだととかく主観的になりがちなところ、本書は、カウンセリング関係の専門研究者が総括や反省を加筆することで、今後へ向けての参考となりうる文献として仕上げられている。
思えば、犯罪被害者等基本法が立法され、被害者保護法制が急速に進んだのも、この事件が大きなきっかけとなってのことだった。
「人生破れかぶれ、自殺もできないから、死刑になりたい。人をたくさん殺せば死刑にしてもらえるだろう。どうせやるなら、五人だろうと十人だろうと、変わりはない」と開き直った犯人に、死刑の犯罪抑止力(威嚇効果)は皮肉なことにゼロだった。が、「だから死刑にしないでおこう」では、遺族として納得できるはずもなく、遺族は当然のように死刑を求めた。が、犯人が死刑になったところで、遺族にとっては償いの十分の一にも思えず、回復への道は遠い遠い旅路だ。何ともやりきれない話である。
同じ動機の「死刑になりたいから見境なく人を殺す」という倒錯した犯罪は、奇しくもこの事件のちょうど七年後の2008年6月8日に、秋葉原通り魔事件として、再現されてしまった。
刑事裁判に付随して被害者や被害者遺族が民事の損害賠償の請求も出して裁いてもらえる「損害賠償命令」の制度がようやく動き出した現在、同じ事件が起こって遺族が民事の請求も出したら、どう裁かれるのだろうか? 「刑事:死刑」+「民事:天文学的数値の損害賠償命令」という判決は、出すことができるのだろうか? 「被告人を死刑囚として拘置はするが、天文学的損害賠償金を払い切るまでは、死刑執行はしない。払い切ったあかつきに、初めて本人の望む通りの死刑を執行してやる」という判決を出すことは、「死刑執行は確定後六か月以内」との刑事訴訟法の規定に抵触するから、たぶん出すことができないのだろう。
もしもそういう「刑罰+民事賠償」の制度があれば、「死刑になりたい」動機による歯止めのない殺人という倒錯犯罪に、少しは歯止めがかかるかもしれないが、これはこれで、一から考え直さなければならないほどの、むずかしい制度設計の問題である。
懐かしいのに古さを感じないところが凄いです。
リマスターなので音の良さは、もちろんですが、今まで気づかなかった新たな音の発見が
あったりして聴くたびに「missing」の完成度の素晴らしさに驚くばかりです!
ぜひ「Joy and Pain」「SILK」などの復刻盤リリースもお願いします!
ちょっとひねりの効いた詩と穏やかな曲調で せつない男心を歌っている割には重苦しさを感じせない仕上がりになってると思います。
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