里見という名を始めて知ったのは小津安二郎の映画の原作者としてその読みにくい名前をクレジットに連ねていたからですが、小津の「彼岸花」の原作を読んでやろうと思って買ってみたら、最初はこの上なく読み難く感じ、しかし何度も何度も繰り返し読むうちに段々面白味が分かりかけた所へ、鶴井俊輔氏の「白樺で戦争協力しなかったのは里見と柳宗悦だけなんだ」という証言を「戦争が遺したもの」という本で読んで、更に好感を持つようになって読んでみると、鶴見氏の言う白樺の始まりの動機である「権威への反発」という要素が、「みごとな醜聞」に良く表れているのが感じられ、それが形を変えて「彼岸花」にまでつながっているのを読むと、小津安二郎の映画の世界も、ただ老境に達した「白樺派的な趣味と余裕の世界」とばかりは見えなくなってくるから面白いものです。「銀次郎の片腕」は、ロシアの文学に影響を受けたと巻末の解説にありますが、私は現代スコットランドの作家ウェルシュの短編「幸福はいつも隠れてる」を思い出しました。
鎌倉見物の折、ふとここが里見とん邸だったなどと人がささやいていたことを思い出しました。 里見の名前は、「とん」という音の珍しさもあって知っていましたが、実際の作品を読んだ人は少ないでしょう。 だが、それにしても、評伝がほとんどなかったとは! 新潮文学アルバムとか、日本近代文学全集などに入っているものとばかり思っていました。 そんな、やや忘れられつつある名人芸の作家を詳細に浮かび上がらせ、いきなり再評価の俎上にあげた力作。 晩年のところまではしょらずに淡々と綴り、はじめは凡長かと思っていたら、おもしろくてぐいぐい引き込まれ、結局一気に読了となりました。 志賀直哉神話のようなものに疑問を投げかけたり、文学畑以外の人間でもたのしく読めて、とても刺激的!でした。 泉鏡花、志賀直哉、谷崎、小村雪岱、木村荘八、小津安二郎、笠智衆…多士済々の登場人物のインデックス、文献なども充実し、学問書としても抜群の完成度で、しかも面白い。 こんな労作をどのくらいの期間で準備して書き上げたのか、筆者を質問攻めにしたくなりましたが、あまり書評等で紹介されなかったのが残念です。 絵描きだと、金山平三とかまあ木村荘八でもいいけれど、絵はこんなにいいのに埋もれていってしまう!という人みたいな作家でしょう。 里見、そしてこの労作をてがけた小谷野の、二人の「トン」氏のお仕事に、深く感じ入りました。 トン先生、こんなに愛されてよかったですね。今まで待った甲斐がありましたね。
小津安二郎が里見'クを崇拝し、映画を作る上でかなりの影響を受けたということを知り、読んでみました。 結果、中・上流階級を描いた作品は、本当に小津映画のように思えてきました。『縁談窶』はまさにそうで、「縁談」というモチーフや鎌倉という舞台、会話のやりとりなど、まるで小津映画を観ているようでした。これは里見'ク作品の読み方としては正しいのかどうかわかりませんが、正しい正しくないはどうでもいいかな、と思います。とにかく面白かったです。 また、プチブルとは打って変わって花柳界を描いた作品もとても面白く、ここに収められているものでは『大火』が特に良かったです。短い作品ですが、吉原の大火で混乱した花魁や客たちが、活き活きと、少しコミカルに描かれています。 どの作品にも共通しているのは、会話の面白さと、読み終えたあとに、心地良いような、じーんとくるような、決して激しいものではないのですが、何か静かな感動を余韻として残してくれることです。
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