テレビで『非情のライセンス』を観て、すっかりハマり込んでしまい、原作者の本も読んでみようと思って手に取ったのが本書でした。
この作品、基本的には冒険小説と言うことになると思いますが、ハードボイルドあり、サスペンスありと、まぁ飽きさせない作りになっています。(竹中平蔵的に言うところの『わくわく感』があると言ったところでしょうか?)苦難の末のあっけないエンディングは『老人と海』以来脈々と続くハードボイルド的な終わり方と言えましょう。
ただ、ちょっとあれやこれや手を出し過ぎていて、読後、幕の内弁当的な小説になっているなぁと言う印象が残りました。ハードボイルドにするにはキャラクターの掘り下げ方が甘い気がします(長谷川・森川辺りはまあまあ良いとしても、真壁なんかは結局陽気な九州男児と言うことで終わっていますし、葉村のニヒリズムも底が浅い気がしました)し、サスペンスにしてはタネ明しが早すぎますね。あと、紅幇のところはハッキリ言っていらないと思います。あれで葉村への興味がサッと失せてしまい、その後数日間読むのをやめてしまいましたよ。。。
これを長編にして、もう少し全体的に奥行きを持たせたら良かったのにと残念に思います。舞台設定とかが良かっただけにねぇ。。。
日中戦争下の上海を舞台に、戦火の中に咲いて消えたあだ花とでもいうべき登場人物たちが織り成す、短くも激しい物語。 主人公宗好は日本育ちだが、抗日のために中国に渡り、父の遺産を元手にゲリラを組織。ある日、彼は清朝復興のために日本軍のスパイとなった美女・川島芳子(清朝粛親王皇女)に出会い、不思議な魅力を感じる。争乱の中に若い命を賭けるみずみずしく一途な主人公と、男装の美女でありエキセントリックな行動を取るが女性としては深い哀しみを抱える、正に”乱の王女”芳子を軸に、戦いは激しさを増していく。その行き着く先は------- 主人公もさることながら、この作品は川島芳子の描写にすぐれている。いたずらにエキセントリックに、表面的、興味本位に描く作品が多いのに対して、こ!の!!「乱の王女」は、日中両国に利用され、そのはざまに取り残された立場という歴史的事実をきちんととらえて人物造形を行なっている。 ハッピーとは言いがたいラストだが、志に命を賭けた青年は幸せだったのかもしれない・・・と思う。
日中戦争下の上海を舞台に、戦火の中に咲いて消えたあだ花とでもいうべき登場人物たちが織り成す、短くも激しい物語。 主人公宗好は日本育ちだが、抗日のために中国に渡り、父の遺産を元手にゲリラを組織。ある日、彼は清朝復興のために日本軍のスパイとなった美女・川島芳子(清朝粛親王皇女)に出会い、不思議な魅力を感じる。争乱の中に若い命を賭けるみずみずしく一途な主人公と、男装の美女でありエキセントリックな行動を取るが女性としては深い哀しみを抱える、正に”乱の王女”芳子を軸に、戦いは激しさを増していく。その行き着く先は------- 主人公もさることながら、この作品は川島芳子の描写にすぐれている。いたずらにエキセントリックに、表面的、興味本位に描く作品が多いのに対して、こ!の!!「乱の王女」は、日中両国に利用され、そのはざまに取り残された立場という歴史的事実をきちんととらえて人物造形を行なっている。 ハッピーとは言いがたいラストだが、志に命を賭けた青年は幸せだったのかもしれない・・・と思う。
日本推理作家協会が、1970年以来、毎年刊行している『推理小説代表作選集(ザ・ベスト・ミステリーズ)』の中から、年代を十年ごとに分けて、編者がいくつかの短篇をセレクトするというシリーズ。東野圭吾がブレンダーを務めた第1弾に続いて、本書、第2弾で選者ならびに案内役を務めるのは、宮部みゆき。1971年、1981年、1991年刊行の上記選集の中から、「現代社会の世相や問題と、くっきりと太い線で結びついている作品」というコンセプトのもとに選ばれた七つのミステリー短篇が収められています。
1971年(昭和46年)からは、生島治郎の「男一匹」、森村誠一の「企業特訓殺人事件」、小松左京の「闇の中の子供」。1981年(昭和56年)からは、佐野洋の「暗い窓」、都筑道夫の「首くくりの木」。1991年(平成3年)からは、原 寮(ウかんむりのない文字)の「歩道橋の男」、夏樹静子の「酷い(ひどい)天罰」。
各年代の頭に置かれた「選者のひとこと」が、とても読みごたえ、ありましたねぇ。それぞれの短篇の魅力の芯になっているものを的確に案内するのと同時に、その年の世相を振り返らせてくれる書きっぷり。レイディー宮部の心憎いばかりのミステリー・ガイドに、拍手〜(パチパチパチ♪)
粒ぞろいの作品の中でも、森村誠一と原 寮の作品に引き込まれましたね。「企業特訓殺人事件」の、今に通じるシニカルな味。「歩道橋の男」の、18歳の少年キャラの存在感が強烈だったこと。それぞれに魅力的で、読みごたえあるなあと。
読み手のレベルにあわせて書くのが娯楽小説作家なのでしょうから、こんな程度のものでよいのでしょう。その意味で★5つとさせていただきます。 娯楽作品としてはそこそこ面白いです。しかし、 しかし、人生を変えてしまうような哲学的なものがまったく感じられません。 (ギャンブルを通して哲学的な悟りさえ得ることもできるものです) たとえ娯楽作品とはいえ、小説には作者の思想、発想、考え方、生き方、というものが必ず反映されてしまうものです。 僕は生島治郎氏とお手合わせをしたことはありませんが、かなり弱い方のようにお見受けいたしました。おそらく本質的な部分は何も分かっていらっしゃらないようにお見受けいたします。 作者の生島氏、また、ギャンブルを愛するすべての皆様が破滅に向かわぬようにと思わずにはいられません。 以下は皆さんのギャンブルと人生のご参考にどうぞ。 何かに賭けるという意味でギャンブルの出来ない人間には、その手で何かを獲るということなど出来ません。 さてその際、これはギャンブルに限らないのですが、ツキと呼ばれているものは単なる偶然でしかないのです。 単なる偶然が起こることを人は奇跡と呼びますが、偶然を必然的に起こすことが出来ればどうなるでしょうか。 これはツキだとか、潮の流れだとかという次元での勝負ではありません。 さてどうしたら、偶然を必然的に起こすことが可能になるのでしょうか。 それはとても簡単で単純なことです。皆さん自身で探してください。そして見つけ出してください。 法というのは、自らの力で見つけ出したときに、自らのものにすることが出来るのです。
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