故・森繁久彌氏らの熱演で日本でもお馴染みのミュージカル『屋根の上のヴァイオリン弾き』。
本書はその原作・・・と言っても、評者は“テヴィエ”の文字に反応しただけ(汗)。無責任は承知だが、ブロードウェイミュージカルにまでなった作品のそもそもの出発点が“このような形をしている”とは、初めて知った。
主人公テヴィエが作者ショレム・アレイヘムへ宛てた書簡の形をしている。しかも、約20年の間に断続的に発表された連作短編集の趣である。
ミュージカル作品に描かれたエピソードも出てはくる。が、この“原作”からあの台詞また名曲が紡ぎ出されたとは、俄かには想像し難い。
巻末には、日本では馴染みの薄いユダヤ人社会の背景や歴史、イディッシュ(「ユダヤ」とは微妙に意味が異なるようだ)の言語や文学の成立、などと併せ、ミュージカルを含め舞台化・映画化された経緯について、訳者による簡潔かつ明快な解説が収められている。アメリカという国家の根底を成す移民文化との結びつきはじつに興味深い考察であり、この解説文だけでも本書を手にする価値がある。
明確な記述はないのだが、本作品の日本語版がこの形で出版されたのは、どうやら“本邦初”であるらしい。
ロシアとヨーロッパの狭間に位置するユダヤの貴重な文学遺産を日本語化した意味でも、本書の存在価値は大きい。
肝心の“書簡”部分だが、テヴィエの信仰心(じつは理解がやや覚束ない部分があり、そこがまた面白い)から出る旧約聖書の文言や思想について、割注による注釈や、傍点、振り仮名等が、本文中に容赦なく(?)挿入・付記されている。評者は、落ちこぼれだけど(大汗)いちおうクリスチャンなので、それなりに理解でき、参考にできたのだが、ユダヤ教(≒キリスト教)に無関心な向きには、煩わしく、読み辛く感じるかもしれない。
ミュージカルの“原作”である『
屋根の上のバイオリン弾き (ハヤカワ文庫 NV 44)』との比較も一興だろうか。
私はミュージカルは絶対に日本語吹き替えではなく、原音で見るべきだと信じています!
そして字幕も
英語で見るべきなのです。
何故ならミュージカルの場合、日本語訳そのものが制限されて、意味が通じない場合が非常に多いからです。
日本の方の場合、日本の劇団などを先に見ているので、日本語の音楽そのものが非常に奇形だからです。
英語で作られたミュージカルは絶対に原音の
英語で鑑賞すべきものなのです。
英語の字幕でです。
それだけでも相当
英会話力が身に付きます。
ウクライナの寒村にも、徐々に変化が訪れ、愛する娘が親の承諾もなしに愛情で結ばれようとし、その相手も貧乏な仕立て屋であったり、革命家であったり、異教徒であったり、これまでの旧いしきたりが崩れてゆく。おまけに、この村に住むユダヤ人にはポグロムと最後には厳冬の中での追放が待ち受ける。それでも変わることのない家族の愛に心が揺さぶられる。そんな中で歌われる「サン・ライズ・サンセッツ」。どんなに苦しくても、日は昇りまた沈む。涙なしに、この歌は聞けない。本当はすごく悲劇的な話だけれど、それを明日に生きる希望と愛の感動へと高めたのが見事である。ユーゴで撮影した農村風景も、登場人物も、この感動を盛り上げている。ミュージカルの舞台よりも映画のほうが良い作品はめったにないのだけれど、この作品はそのまれな例外になっている。