こちらは、全体としては、
イタリア映画ですが、背景や、モデル達に、色濃くモッズ・60’sの色がでてます。
主人公の履いてるパンツが、なんともモッドしてます。
チラッと写ってるバンドとかも、サイケに走る前のモッズです。
サイケに走るか、スキンズに走るかの分岐点的な映画です。
スキンズ・パンク派は、見ないほうがいいです。
1975年発表のアルバム。このアルバムが「血の轍」と並んでディランの最高傑作であるというのは衆目の一致するところでしょう。
この作品はディランの作品の中でも最も情緒に訴えかけるアルバムかと思います。リハーサルを殆どしない状態で録音されたのでしょう、ヴォーカルは激しく、コーラスは荒く、ヴァイオリンは情熱的で、サウンド全体に獰猛な野獣のような強烈な力が漲っています。歌詞は例によって理解不能なものも多いですが、総じて生々しく、特に別れる直前の妻にあてたと思われる「オー・シスター」「サラ」などの
バラードは感動的です。
なお、解説は菅野ヘッケルによる2003年のものですが、訳は片桐ユズルのLP時代のもののままです。"Oh, Sister"を「おねえちゃん」と訳す繊細さのかけらもない言語感覚には改めて唖然とさせられますし、明らかに「神」を意味する"Father"を「父」と訳したり、もう無茶苦茶。意味の通じない訳も多いです。
なかでも"Oh Sister"の最後の「時は海だが岸辺までだ、あえぬかもしれぬ 明日は」という意味不明の訳だけは我慢できません。"Oh, sister, when I come to knock on your door, don’t turn away, you create sorrow." 「わたし」は「あなた」に「訪ねて行った時には冷たくしないでくれ」と懇願するわけです。"Time is ocean, but it ends at the shore. You may not see me tomorrow." 「時間は海だ」「海は岸で終わる」つまり「時間は海のように無限に見えるが、それでも終わりがあるのだ」と、あなたとの関係に「終わり」のあることを言っているのです。だからこそ「もう会えないかもしれない」という言葉がとてもつらく、ぐさりと突き刺さるように響くのです。