600ページ近い大冊である。カラスの全期にわたる舞台写真も充実していて、情報の豊富さと相俟ち、伝記ものの本としては申し分ない。カラスの音楽的信念や、公私を巡る毀誉褒貶が著者の沈着な筆致で紹介される。海の物とも山の者とも分からない、しかし恐ろしいほどの光彩を放つ若き日のカラスは順風満帆ではなく、かつてない新しいものに対する抵抗への常で、数々の煮え湯、冷や水にこと欠かない。
1955年の「椿姫」スカラ座公演でわれわれには頂点にたどり着いた感のあるカラスの存在が、実は聴衆の50%がアンチ カラスで敵対していたという指揮者ジュリーニの言を聞いて耳目を疑ったが、その経緯などはこの著作を読むと頷かされる。
この映画のカラスの歌唱シーンに流れるのはカラスの声ではなく、ましてや主演女優の声でもない。アンナリーザ・ラス
パリョージの声なのだが、聞き惚れてしまった。特にカルメンの「ハバネラ」とトスカの「歌に生き、愛に生き」は、あたかも歌詞がカラスの内心の声を代弁するかのような脚本になっていて殊のほか良い。もっと歌唱シーンが多くてもよかったと思う。
では歌唱シーン以外はお粗末かというとそうではない。当時のお金持ちの豪華な生活が要領よく再現されていて視覚的にも楽しめる。ストーリーは20世紀を代表する(いい意味で)成り上がり者同士のエゴがぶつかりあった様がきちんと描かれている。実際の2人の恋と破局にどこまで迫れているのかはわからないにしても。
このまま忘れられるままにしておくのはちょっと惜しい映画だ。
なお、2人とも
ギリシャ系だから実際には
ギリシャ語で話していたのではと思うし、様々な国籍の人が登場するが、映画中の会話は
イタリア語で統一されている。
1962年11月4日のコンサートの、ドン・カルロ~世のむなしさを知る神とカルメンのハバネラとセギディーリャ(指揮ジョルジュ・プレートル)、そして64年2月9日、ゼフィレッリ演出のトスカ第2幕(指揮カルロ・フェリーチェ・チラーチオ、カヴァラドッシ役レナート・チオーニ)が入っています。前半3曲はともかく、後半のトスカに関しては、声や演技の迫力も、カメラの撮り方も、映像の質もとても良く、完璧で、その後「歌に生き、恋に生き」に入っている58年の
パリ・オペラ座のトスカの魅力がほとんど感じられなくなるほどでした。