80年代に学生生活を送った私にとって『ふぞろいの林檎たち』で同世代の等身大の主人公たちを描いてくれた山田太一氏は、大変恩義を感じるシナリオ・ライターです。氏の『誰かへの手紙のように』というエッセイ集を今から11年前に読んで、大変感銘を受けました。昨2013年暮れに出た最新エッセイ集を、今回、久しぶりに手にしてみました。
『誰かへの手紙のように』でも著者は家族の複雑さ、そしてそれゆえの興味深さについて筆を進めていましたが、今回も、肺病でなくなった兄とその恋人のこと、食堂を営んでいた父のこと、若くして亡くなった母の弔いの様子など、著者自身の家族の姿を記した随想には、ひとつひとつ心打たれるところがありました。
さらに興味深いのは大学を卒業して松竹に入社し、助監督として働いていた20代の頃の氏の思い出です。職人肌が多く、厳しい映画の世界で、氏は右も左もわからず、毎日緊張に身がやつれる思いをしながら仕事をしていきます。銀幕上に映る華やかな世界とは縁遠い、土と汗のにおいが強い製作現場での思い出。氏が描く当時の回想は、仕事が満足にできず、日々味わいつづけた苦渋に満ちていて、大シナリオ作家となった今からは想像もできないほど弱々しく気力に乏しいものです。仰ぎ見るかの存在だった氏の印象が、少し身近なものへと変わった気がします。
そして私が最も驚きと敬意を持って読んだのが「減退」と題された随想です。 「減退」という言葉が指すのは性(欲)の減退です。齢(よわい)七十を重ねた著者はかつてのように「反射神経のように性欲で分別するところ」がなくなったと綴ります。 「しかし、私は減退が新鮮だった。別の世界へ足を踏み入れたぞ、という小さな興奮があった。負け惜しみだと笑われそうだし、幾分その通りかもしれないが、減退を意識してそれを受け入れると、肩の荷をおろしたような気持になった」(30頁)。 それは著者自身が卑下して言うように「負け惜しみ」なのか、それとも長い人生を味わった末の美しき諦念、あるいは到達点なのか。 自身の「減退」に最近気づき始めた私は、やがて完全に「その日」が来た時、この随想を思い返しながら著者の胸の内を再び推し測ってみたいと思います。
山田太一に深く憧憬しています。 「岸辺・・・」「早春・・・」「ふぞろい・・・」「男達の・・・」夢中になってみました。皆さんの思いを読むだけで涙します。 ありがとうございました。
ついにDVD化!! 夢のDVD‐BOX化がついに実現だ! 早速の予約ですが発売日まで長い2ヶ月になりそうです。 唯一の心配は使用曲の著作権クリアの件だけですが大丈夫だと願いたい!!
先般、イラク攻撃について日本がアメリカを支持するかどうかという質問に小泉首相は「その場の雰囲気」なんていう発言をして随分問題となりました。この作品は、「その場の雰囲気」の恐ろしさ、「戦わない勇気」の大切さを教えてくれるお話です。 小泉さん、直ちに本作品を見るように!
ちゃんととどきました。状態も良かったので満足です。
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