市川崑監督の1994年の作品なのだがどうももう一つ面白くない。
在り来たりの「忠臣蔵」のストーリーでないところは良いのだが、あの映像に秀でた市川崑監督らしからぬセットや衣装などの
美術が安っぽいので映画に引き込まれていかない。
また斬り合いのシーンも本物らしさに欠け、時代劇としては並程度の作品だった、残念。
吉川英二の新編忠臣蔵を読んだ後だったので非常に興味深く読むことが出来ました。早いテンポで物語が進んでいくので、一気に読み終えました。違った解釈の内容でおもしろかった。忠臣蔵ファンとしては満足でした。
冒頭、秀吉晩年の愚挙、朝鮮出兵での島津義弘軍の鬼神のごときいくさぶりに度肝を抜かされる。「石曼子(シーマンズ)。かの地では、このときの戦闘以降、数百年に渡って石曼子きたるといえば泣く子も黙ると語り伝えられる」こんな書き出しで物語がスタートする。上下巻各450ページほどのボリュームだが一気に読ませる。あらすじは、朝鮮出兵以降、関ヶ原の戦いをピークとするよく知られた戦国末期の歴史を、薩摩島津の側からえがいたもの。やはり、あの有名な関ヶ原合戦での敵中突破、決死の退却行がクライマックスで、3万人余りの東軍のど真ん中を僅か600の島津勢が中央突破をはかる。しかも、家康の本陣を蹴散らし、追走する井伊直政に深手を負わせる。そして、甥の島津豊久や腹心の部下が「関ヶ原以後の薩摩のために島津義弘を死なせる事はできない」という思いから自らが盾となってついに逃がしてしまうのである。また、戦場を離れてから船に乗り込むまでの逃走行がスリリングで手に汗握る展開だ。そして、私の一番好きな場面は下巻の最初の部分、伏見の島津屋敷に西軍の
石田三成から再三に渡って参戦するようにとの使者が来る。しかし伏見の島津勢は千に満たない兵力。いかに知略に長けた島津義弘でもこれでは兵力が少なすぎる。薩摩に書状を出し援兵を頼むが、国許の兄義久は兵を出さない。その時、なんと、義弘の窮状を聞きつけた足軽兵たちは畑仕事の鍬を放り投げて走り出す。薩摩から肥後、筑前、そして関門海峡を船で渡り、中国路を走るころには彼らは疲労困憊、着物はボロボロ、負傷している者も多い。いつしか彼らの走る訳が知らされ、沿道の人たちに感動が広がった。
以上とりとめもなく書いてきたが、とにかく面白い。場面場面の映像が見えるようである。極上の戦国エンターテイメント小説とでも言っておこう。