かつて
渋谷系を評するときに「キュートでお洒落でポップ、ちょっといじわる」みたいなコピーを見たものですが、
そんな風にこのアルバムにコピーをつけるとしたら「お茶目でエレガントでポップ、ちょっと浮世離れ」と
いった感じになるでしょうか。
2010年に乙女音楽研究社からリリースされたブルーマーブルのアルバム「
ヴァレリー」で大野方栄さんのことを
知ったのですが、実はその歌声には、私が子どもの頃から「おもいっきり
探偵団 覇悪怒組のOP」やポンキッキの
「やせろ! チャールス豚三世」などで身近に触れていたということを後に知りました。
またもの凄い数のCMソングも歌ってこられており、ある程度の年齢(?)の人たちには、実はどこかしらで
大野さんの歌声が耳に入ってきていたはずです。
さてこのアルバムですが、活動再開をされて既に3枚目ということですが、その3枚のアルバムは、なんとここから遡ること
1年以内にリリースされているのです。その上その一つ前のアルバムは、30年も前というのですから、驚きます。破天荒です。
私はこのアルバムでようやくソロとしても活動再開されていることを知ったのですが、これもまた不思議な感じがします。
おそらくブルーマーブル直後であれば、アマゾンのおススメ商品として出てきていたのでしょうが、
ブルーマーブルからだいぶ時間が経過していたので、見逃していたのだと思います。
随分と前置きが長くなってしまいましたが、本作の内容は、もうただただ素晴らしいの一言です。
あらゆるジャンルの坩堝と化しているにも関わらず、最終的にはやはりポップでドキドキする楽しさに溢れています。
そして最初に「浮世離れ」と書いたように、大野方栄さんの飛んじゃってる感性は、他の人が真似できるものではありません。
完璧すぎる歌のテクニックを持っていながら、とにかく歌詞から歌い回しまで、どこまでも自由なんです。
この「歌とは自由である」という強い主張が全編でほとばしっている感じがします。
それは全曲カバーであるにも関わらず、完全に換骨奪胎されていて、カバーだと一切感じさせないことからも伝わってきます。
私としても「これは聴かなきゃ本当にもったいないよ」と心から言えるアルバムです。
なおアマゾンで購入するなら、マーケットプレイスのHOUEI MUSICから購入すると、なんと本人から直接送られてきます。
サイン入りな上に、封筒からお手紙まで本人の直筆です。近所の郵便局から投函してくれるみたいです。
そんなDIY精神に溢れた作品は、やはり大野さんのどこまでも飛んでる感性を感じさせてくれるし、
これからの音楽家とリスナーの関係の理想像みたいなものを予感させられました。
それは有機農法で丹念に育てられた野菜を、直接農家の方から購入するような感覚でした。
先に他の2作品、すなわち「
聚楽」と「
うるとら」を聴いてから、最後にこの「ファーストクラス」を聴きました。
まず聴いて感じたのは、本作だけは全く違う雰囲気を纏っている作品だということです。
それは
ジャケットデザインにも表れているように、先の2作が「動」なのに対して、本作は「静」であるということです、
その大きな要因はプロデュースにピアニストの中村由利子さんを迎えて制作されていることが大きいです。
ピアノは全て中村さんの演奏であり、かつ10曲中5曲が中村さんのナンバーであることから、非常に彼女の色が強く出たアルバムとなっています。
そして大野さん自身も、中村さんの色合いの強いアルバムを作りたかったのだろうなという風に感じられます。
というのは、アルバムのハイライトとなる位置に、中村さんの曲を置き、その他の5曲はあくまでも中村さんの曲を
より惹きたてるために、選曲、配置されている感じがするのです。
限りなく透明でスローなピアノ曲である中村さんの曲にハイライトを当てるために、その他の曲は軽妙でコミカルな
タッチの曲が
意図的に選ばれているように思うのです。
このバランス感覚は、本当に何度も聴けば聴くほど納得させられるのですが、確かに中村さん作曲の
バラードが始まると
グッとリスナーは惹きつけられる構成になっています。
例えば「聚楽」でも「Mr.PC」として再演されているM6の「Tralha」では、こちらのほうがピッチが速く軽快なイメージを抱かせます。
さらに曲の最後には突如、歌舞伎か何かの語りが挿入されるのですが、これなんか一瞬ギョッとさせられるんです。
しかし次の中村さんの美しい
バラード曲「あなたの庭で」を惹きたてる伏線として取ると、とても巧いなあと感じさせられます。
そういう風にあくまでも、中村さんの曲メインのアルバムですので、初めて聴いた時は、全体としてサラッとした印象を受けるかも
しれませんが、何度も聴きこむにつれ、じわじわと味わい深さが増してくるアルバムになっています。
それと先に聴いた2作品は出来るだけ大きい音で聴いた方が楽しさが増すアルバムだと思うのですが、本作はかなり小さい音で聴くのもいい感じです。
全体的に音数が少なくシンプルでゆったりしていることと、何よりメロディーが抒情味に溢れていることが、そういう聴き方に向いているのだと思います。
中村さんのピアノ曲は、退廃的なロマンチシズムを感じさせられる独特のメロディーという意味で、どこか初期の日向敏文さんに
近いものを感じていましたが、こうして大野さんの歌が入ったものを聴くと、ヨーロッパ3部作を出した辺りの
大貫妙子さんの作品にも通じるものがあるなあと感じました。
というように「聚楽」や「うるとら」とは、まるっきり違うムードでありながら、やはり今作も非常に完成度の高い作品となっています。
何よりほとんどのアルバムというのは、1回通して聴くとそのままもう一回リピートでという風にはならないのですが、大野さんのアルバムは
平気で3回連続とかで聴いてしまいます。収録時間が大体40分程度に収めてあるのも、おそらく1枚のアルバムとして
いかにまとまりを良くするかを考えられてのことだと思います。
1曲単位で聴くとインパクトの薄いものでも、それがアルバムの中の1曲となると、無駄な曲というのが一切ないという印象です。
音源の溢れている時代だからこそ、これだけ何度も繰り返し聴いてしまうアルバムに出会えることは滅多にないことであり、
ぜひそういう音楽の聴き方をすっかり忘れてしまったようなリスナーにこそ聴いてもらいたいアルバムです。
「聚楽」を聴き、次のアルバムがどんな風になるかが楽しみであり不安でもありました。1曲目を聴いた途端「これだぁー!」ってうれしくなっちゃいまそた。まだまだ、これからも聴きたい大野さんの歌声です。