大森一家格好良すぎます。
一人一人の人生が詰まったインタビューになっています。
印刷の出来が良いです 画集と一緒に並べてお部屋の片隅に並べても 遠くから眺めると野村佐紀子のなみなみならぬ力量がわかります
東京郊外のまほろ市(八王子か町田近辺がモデルになっているのか?)の 駅前で便利屋を営む多田啓介(瑛太)。多方面からの仕事の依頼が入るが その内容は、捨て犬の飼い主探しや路線バスの不正運転の調査、庭掃除など 多数。ある仕事場にひょっこりと中学時代の同級生・行天春彦(松田龍平)が 現れる。無職で宿なしの状態から一晩だけ泊めることになったが、一向に 出ていかない。多田は渋々便利屋の助手をさせることにするが、浮いた感じの 性格の行天に、几帳面な性格の多田とは水と油のような関係だ。
まほろ市の訳ありの住民たちからの仕事の依頼は、客たちの人間関係に首を 突っ込んでいるうちに、水と油の関係の多田と行天のお互いの距離も縮めていく。 そんな中、塾通いの小学生の送迎を依頼されるが、その小学生がヤバいアルバイト に手を出したことで、便利屋もその事件に巻き込まれていく・・・。
多田・行天とも30代で両者とも離婚暦がある、競争社会から転がり落ちた敗北者だが お互いの人生の負け犬のゆるい空気感がよい。負け犬でも二人揃えば倍の力になる。 その力は便利屋の仕事を通して知らずに訳ありの依頼者たちの人生の人助けをしている。 金はなくても、汚れた軽トラに乗っていても、二人の男たちには正義感はあるのだ。 ゆるい感じの人物が多数登場する作品だが、過激な場面もなく安心して観られるのは良い。
過剰なセリフや説明的な映像を排しつつ、映像からダイナミズムが伝わってくる。カットとカット、セリフとセリフの絶妙な『間』。それぞれの心情を観客に想像させてくれる。会話が絡みそうで絡んでいない空気感。それでいて、何故か、絶妙な関係を見せる二人。
根幹となるテーマは、『過去と真正面に向き合い、そして前へ進むことへの難しさ』ということか。二人の主人公である、多田啓介と行天春彦、それぞれの悲しき過去を背負い、生きていること。けど、その生き様は、何処と無く、魂が抜けたかの様に感じ、不幸な出来事を境に時間が止まっている様に感じる二人。
様々な出来事と、それに絡むセリフ。
『誰かに必要とされるってことは、誰かの希望になるってことでしょ』
『おまえの親が、おまえの望む形で愛してくれることはないと思う。だけど、自 分には与えられなかったものを、新しく誰かに与えることはできるんだ』
『フランダースの犬の有名な最終回の内容は幸福なのか?不幸なのか?』
ラスト近く、多田と行天は互いに悲しい過去と向き合うことになります。過去と決別して、前へ進んだのか?進んでいないのか? 結局、数ミリしか進んでいないのかも。でもいいのだ、1ミリでも、過去と決別し、前へ進んでいるのだから。
本作は、瑛太と松田龍平主演とは言え地味な印象が強く、意識的スピード感に欠ける演出をしていて、たるく、ゆるいムードが映画全体を覆います。オトナの感性の映画であり、少々玄人タッチの映画で、そんなに、ヒットはしないかもしれない。実際、月曜日のレイトショー前の回で観たのですが、私たち夫婦ふたりきりの貸切上映でした。嬉しいやら悲しいやら。(苦笑)
しかし、オトナというものは、彼らほどではないにせよ誰も、悲しい過去を背負って生きているもの。その過去と向き合うか、或いは避けて生きているもの...。多くの(特に30・40代の)大人に観て欲しい。
絶望の果てだけど、最後に大切な人がいて、わずかでも救われたのかな… と。きっと主人公たちの立場になったら、不安と悲しみで潰れてしまう自分です。 お兄ちゃんとの面会のシーンがこの映画の心臓。 所々に優しい仕草がちりばめてあるのは、監督のセンスと照れのようなものかな‥ 素敵でした
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