最近の小説は内向的でスケールの小さいものばかりと思っていましたが、
これはスケールが大きく読み応えがありました。
日本で古代からどのように人々が生き抜いてきたかを
現代の暗雲とした世の中で生き抜く精神に繋ごうとしているようです。
一部は現代の貧しい人々の生活を旅し、二部では歴史を駆け抜け、
人間が逞しく生きる中の悲哀がテンポよく描かれています。
作者のユーモアと幅広い知識に裏打ちされた、日本人の根源を
呼び覚ませてくれるような世界や時代を俯瞰した素晴らしい作品だと思いました。
この本を読んで、オペラという芸術をビジネスとして見る面白さも味わった。と同時に、すごくオペラが見たくなった。
本書はかなり通向き。著者はオペラ歴20年、しかも海外在住のため相当見まくってる様子で、オペラ界全体の流れがよくわかるようになっている。
オペラはこんなにも冒険が進んでいたとは! ぜひ、斬新で素敵な舞台を見てみたいと思った。歌手を聞き比べるのも凄く面白そうだし、歌手によって向き不向きのオペラがあるっていうのも、頭でわかっていても見て聞いてでないとわからないだろう。奧が深そうだ。でも、それだけ斬新にならざるを得なかったことには、新世代のニーズと経済事情とがあったわけだ。(中国の京劇が衰退してしまったのは、この創造性をシャットアウトしたからだし、日本の歌舞伎も勘三郎にだけ頼らず、もっと冒険をしていかないと先が心配だ。)
9章のメトロポリタン・オペラの歴史は、それだけで映画にしてもいいようなほど、エキサイティングだった。アメリカの伝統的名家が牛耳っていた劇場から閉め出された新富豪達が怒って創設したのが始まりというのが、まず面白い。(アメリカそのものが成金だと思うけど。) メト(メトロポリタン・オペラのこと)で亡くなった人達の話もドラマチックだし、オペラを知らない人でも、9章は人間ドラマとしてすごく面白く読める。それに、今のメトが切符の収入よりも寄付で成り立っているというのに驚いた。当然ながら、何百万ドルもの多額の寄付者達が理事としてメトの運命を決める。ま、アメリカは大統領だって消防署だって寄付に依存している国だから、アメリカ人はそんなに驚かないかもしれない。
総裁や歌手、演出家、指揮者だけでなく、裏方で働く人の取材話も興味深いし、目玉が飛び出るギャラ・給与の話も面白い。オーディションの仕組みと競争率にも度肝を抜いたし、オペラという大イベントを毎日こなすロジがいかに凄いものか、よくわかった。オペラを見慣れた人でも見方が変わってくるでしょうね。私はオペラ初心者なので、本書に出てくる「有名」歌手や専門用語がわからなくて残念だったけれど、これから安い席でも、ビデオでも、どんどんオペラを見てみようと思わせてくれる1冊だった。
九名の錚々たる作家が、それぞれの解釈で描いた九つの物語のアンソロジーです。
その中には、現代語訳しただけに近いものや、視点を変えたもの、時代も場所も全く変えてしまってそのエキスだけを残したものなど様々です。
それぞれの作家の描く物語は、「源氏物語」をより解りやすく深くしてくれるように思います。
今回、この九編の短編を読んで、一番感じるのは、「源氏物語」の「深さ」です。
これだけいろいろな解釈がなされ、そのテーマを時代を変えても作品にしたくなる魅力があるのでしょう。
更に、「源氏物語」の各巻が、それぞれ単独の短編小説になりうるということを再認識しました。
所収されている作品の中で、最も気に入ったのは、江國香織の「夕顔」です。一見、単純な現代語訳のように見えて、意外な夕顔像を見せてくれました。
その他にも小池昌代の「浮舟」も、視点を変えるとこんな魅力的な小説になるのかと、面白く読むことが出来ました。
どの作品も魅力に溢れた作品ばかりで、外れはありません。
読み応えのある一冊でした。
撮影・カット割は下手、カラコレ(色調調整)も下手、
あと台詞が役者の口に馴染んでない(つまり監督が役者に演技をつけれてない)。
ほんとに素人がつくったんじゃないの?と思うぐらい技術的にはダメダメですが、
監督・井上さんのセンスがいいのか(ただし演出能力は無い)、不思議な魅力のある、すごく心に残る作品でした。
あと岩田さゆりもすごく魅力的でした。
本書は、類まれなる美貌とそれ故の数奇なる人生を運命づけられた白草千春の人生を追う中で、彼女だけでなく、彼女に傾きそして離れていく男達と彼女の親族・知人の傾きぶりを、島田雅彦らしい優美にしてリアリティ豊かな筆致で描き抜いたもの。ヤマザキマリさんの人物画とともに、その世界の美しさと悦楽ぶりを堪能する中であっという間に読み切れる、著者のストーリーテラーとしての面目躍如たる一作でもある。
一つ考えたいのは、本書の題名が「傾国美女」ではなく「傾国子女」である点。本書で一貫して描かれているのは、一つには上述の堕ちることの美しさと悦楽だが、もう一つには主人公・千春が子供・少女・女・母と次第にその立ち位置を変えながらも、常に純粋しかし本能的で愚かな生き方をしていくところである。世界三大美女とされる楊貴妃とクレオパトラは、いずれもその国、そして自身も滅びた点では共通だが、前者が「傾国美女」の代名詞として名を遺した一方で、後者が「傾国美女」と称されることを私は寡聞にして知らない。両者は共通して自身の美と女を最大限に駆使しながらも、前者で国を傾けるのはあくまで男(玄宗皇帝)であるのに対し、後者は傾く国を必死で支えようとしながらも叶わずに国ものとも堕ちていくという違いがある。一言で無理やりに言えば、愚かなる者(汝が名は女なり)と賢き者(過ぎたるは及ばざるが如し)の違いだろうか。
国を傾けるつもりが、いつしか自分だけが真っ逆さまに堕ちていく千春を描き出す終盤は、実に鬼気迫るところがある。その中で、我が子と無二の親友への千春の想いは、せつないまでに心を打つところであるとともに、だからこその彼女の愚かさを浮き彫りにもしている。そう、傾国の業火に自らが焼かれていく者に対し、その炎すら悠然と眺める女を世は「悪女」と呼ぶのだろう。(クレオパトラしかり、マリーアントワネットしかり。しかし、全ての悪女がこの類型に嵌らない点に留意)
中にはとても俗っぽい設定の者から過去の文学作品に題材を取った者まで、見事に描き分けられた千春に関わる男達の視点に立つのも本書を楽しむまた別の方法であろう。その点で、文学者に似せたヤマザキマリ起用を活かした人物画は、直接のヒントではなく、こうした斜に構えた味わいを示唆するものと受け取った。
なお、随所で描かれる世相や風俗も時代を知る者には懐かしくも味わい深いところであり、占い師と陰謀史観とで組み立てた日本を動かす者達という世界観も、おおむね実態を踏まえたものであり、いつ「ズバリ言うわよ」「地獄に落ちるわよ」とまで言うかと軽く期待してしまった。まぁ、その御方の他にも、根本七保子さんを彷彿とさせるくだりもあるなど、本書の登場人物のモデル探しというのも、実に愉しめるところでもある。
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