某インスタントコーヒーのCFで流れる、"killing me softly"を聴いた瞬間、わかってねーなーとか思ってしまう。で、即フージーズのあのゆったりした、でも心に迫るフロウが頭に流れてくる。人の曲のカヴァーをあれだけモノにできるっていうのはただもんじゃあないですよね、やっぱり。 フージーズといえばロウリン・ヒルがあまりにも有名だけど、やっぱりプラスとワイクリフの間でラップするロウリンが、一番しっくり来ると思います。初期の頃のシャウトするラップ(レコード会社の要求で、本人達はいやだったらしいけど)とか、だんだん‘らしさ’を獲得していく様子まで盛りだくさんで、これを聴けばフージーズがわかります。ロウリンファンの方も、これを聴いてさらに彼女の奥深さを知りましょう!
前著「鞄が欲しい」が楽しい(読んでいて楽しい)本だったのに、今回はそうでもない。僕にとっては「鞄が欲しい」の中のつまんなかった箇所を取り出した感じに見える。
ドクターKとか変に謎めかしている人については結局人となりが伝わってこない(知っている人が読めば面白がるかも知れませんが、それでは世に出す意味がない)。
ただし、作り手の人を記述している箇所はそこまでひどくはないです。お金があれば頼んでみたいという気持ちにさせます。
(ただし、お金をためて頼みに行こう!という気にまではさせてくれません。)
結局は、文における描写力がちょっと弱いのかな?
鞄のイラストは眺めているだけで気持ちよくなるぐらい描けているのですが。
母子家庭が多い黒人アメリカ社会にあって、ローリンは高らかにライムする。この人はラップ特有のウーフィング、キリスト教を基盤にした思想(アメリカ系黒人では当たり前かも)、コミュニティーの女性への警告、大卒、歌も歌えるという全てを兼ね備え、グラミー賞をこの作品で制覇。次作が大幅に遅れているのはプレッシャーだろう。 土着性のあるサウンドを基盤に高らかにライムしているが、アメリカの黒人女性は辛い立場にあることがよくわかる。ここまで強い口調で言わないと、もしくは言ってもボケ―っとしたやつが多すぎることがよくわかる。とくに黒人男性が子供の面倒を見ないでフラフラしているというのも女性が強くなる原因だろう。これじゃー、マルコムXの言ったとおりの世界になっている。 ただ、あまりにも狭い世界でのリリックなので正直言うと歌詞を読もうがよくわからない。スラム出身でもない日本人には分からないし、次作でよりスケールアップするなら、リリックをより昇華して、アンセムクラスに高めて欲しい。規模は脱アメリカを狙う曲も欲しい。 ローリンの姿勢を見習う人が出てきてもいい(スラング以外に語彙の学習や言い回し)んだが、この頃とんと出てこないな~。KRS-ONE、クール・モー・ディーがなつかし~よ。今のヒップホップのリリックを変えられる力を持っているのは今、彼女だけなので期待は高まる。
このCDを聴くと鼻腔に沈丁花や淡いプアゾンの香りが漂って来る。優れた音楽は嗅覚を刺激するのだ。毅然としたラップと自然なヴォーカルのバランスが絶妙。もし、ラップがこのバランスで入っていなかったらここまで印象が引き締まりはしなかったであろう。冬の日だまり、春の宵、真夏の夜、秋の午後など四季の折々にフィットするはずだ。聴いていると元気づけられるし、不思議に落ち着く。このひと月、毎日通勤時に車の中で聴いているが、全く飽きることがない。滅多に無い完璧な作品。2003年の時点で1200万枚以上売れていると聞くが、一家に一枚常備して欲しいアルバムと言いたい。絶対に買って損はしないと断言できる。
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