読んでいてヒタスラ心地の良いエンターテイメント、逆に言えば過激でなくちゃ感じれない人には不向きな作品である。シェイクスピアにも通づる物語という物の本来の面白さ、ストーリーを練るとは一体どういうことなのか?「まだ俺はこういう物を楽しめたのか」とこの本を握り締めてツブやいてしまった。 タルコフスキーが絶賛、アンドレ・ジッドが絶賛、そしてドストエフスキーが賛美した究極の基本的エンターテイメント。舞台にしても、映画にしても、TVドラマにしても絶対的に面白そうな愛想の良い不朽の名作。こういう物を楽しめる余裕のある人生って良いと思います。 こういう物が母国の物として身近に味わえるロシア人がうらやましい。やっぱり文学は未だにロシアでしょうか?
人間、「昔は良かった……」という懐古の念に捕らわれることがしばしばあるが、
本書ではその懐古の念が戯曲のカタチで鮮やかに描かれている。
「私は完璧な現在・未来志向なので、過去なぞ一瞥もしたくありません!」と言い切れる読者は、
本書に手を出さぬほうが良いのかもしれない。それはそれでひとつの幸せであろう。
文豪の戯曲とはいえ、本質的には手すさびの手段の一種に過ぎないのだから。
『桜の園』は過去への憧憬を捨てられないだけの話で、
旅立ちの話なのにも関わらず未来への指針が見えず、
全く面白くなかったと言えばウソになるが、付き抜けた名作とは思えなかった。
それよりは『三人姉妹』が面白かった。
戯曲という形式を読み慣れていない私でも読み易かった。
こちらも旅立ちの話だが、人間関係の絡ませ方がガッチリしていて、かつ明るい。
過去への懐古は相変わらずだが、湿っぽくなく、前を向いている。
訳文は神西清の手によるだけあって、安心して読める。
高校生のころ、この「可愛い女」と「犬をつれた奥さん」は読んだのですが、どこが面白いのやら、まったく不明、という感想で、そのままうっちゃって置いたのですが、それから40年近く、岩波から改めて刊行されたので読み直して見てビックリ、これはもう、はっきり傑作ですね。そして、神西清氏の訳が本当に秀逸。近年の、正確ではあるけれど情感がきわめて薄い流行の訳とは、ダンチに異る世界です。
チェーホフの文章をたどると、人間の心の動きが詳細に眼前に現れ、何ともはや、これは大人にしか分らない小説なのでしょう。短い小説ですが、人生の何ともいえない成り行きを示して、心が重くもなり軽くもなる、といった感情が沸き上がります。
はつ恋相手の本命が父親だったなんて…
16歳で少しずつ分かってきた「恋をするということ」に夢中になる
しかし思い通りにはいかない、悩みは絶えない
決して心地よい終わりではなかったけど、読んでよかったです
ジッドの作品では『狭き門』を以前読みましたがこっちの方が気に入りました。『狭き門』は恋愛悲劇の様なイメージでしたが、こちらはもっと泥臭い。人間の本性に切り込んでいる所があります。「盲人が盲人を導くとどうなるか」というテーマで目の見えない少女を導く(と勘違いしている)牧師の言動を本人の手記という形で追っていくものです。最初は本当に善意に見える言動がだんだんとオーバーになってきて、手記の文句も自分を弁護するような記述が目立って来るのがなかなか真に迫ってきます。特に設定が牧師というだけあって、“神の御言葉”の間に自分の本心を押し隠そうとする人間の恣意的な一面が露骨になってくると流石にハラハラさせられました。人物設定等も非常に良く考えられており、物語としても十分に楽しめる内容です。ド頭から緊張感があります。
ジッドの作品によく見られるキリスト教に関する記述が多いですが、物語のテーマ自体はつかむのはそれほど難しくないのでそれほど苦労せず読めると思います。短いですしね。けっこうおすすめです。
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