ひとりで書くだけなら、はったりなどで読者を煙に巻くことができるわけだが、これだけの面子と対談していくとなると裸でぶつかるほかなく、なかなか緊張感のある対話になっている。もちろん緊張感というのは、ひとことひとこと試されるような状況に中原氏がちゃんと向き合っているということであって、まじめくさっているということではなく、この著者らしく独特のユーモアが一本通っている。というか、皆さん、蓮実氏や松浦寿輝氏など年配の偉い人も含めて中原氏と話せるのを単純に楽しんでいるという感じがあり、読んでいるこっちも楽しくなってくる。よさのわからなかった『デス・プルーフ』も、これを読んだ後では自分の見方が甘いんだなときっちり納得させられてしまいました。おもしろい本でした。
修行僧の独白のような言葉の数々・・・
自分を戒めるかのごとく書きとめられたメモの連なり・・・
ロベール・ブレッソンの映画を観て誰もが抱く印象は、この本にも当てはまる。
なぜプロの俳優を避けて素人を使い続けたのか?
自身の映画を「シネマ」ではなく「シネマトグラフ」と呼ぶ理由は?
その答えがここにある。いくつか引用しておこう。
「もし或る映像が、それ自体として切り離して眺めたとき何事かを明瞭に表現しているならば、また或る解釈を包含しているならば、それは他の映像群との接触によって変化することはないだろう」
「トーキー映画は沈黙を発明した」
「君のモデルたちが抱いている意図を根こそぎ抹殺せよ」
「モデルたちが自動的に動くようになり(すべてを計測し、重さを量り、時間をきっちり定め、十回も二十回も繰り返しリハーサルすることによって)、そのうえで君の映画の諸事件のただなかに放たれるならば、彼らを取り巻いている様々な人物やオブジェと彼らとの関係は正しいものとなるだろう。というのも、それらの関係は思考を経たものではないからだ」
ル・クレジオの「序言」も読める。
以前テレビ放映されていたのを、偶然途中から親子3人で見て「もう一度テレビでやらないのかな〜」と思っていました。
特に4歳の娘がこれが大好きで、DVDが発売されてとても喜びました。
今はまだ無理だと思いますが、人に対する優しさや自然の大切さを感じ取ってくれれば・・・と思います。
これからも年に何度か繰り返し見ていくことになりそうです。
これだけ読みやすく、奥の深い小説は今まで読んだ事がありません。
私の中で「良い文章」というのは、感情移入しやすいという事が一番です。
読売新聞の連載を毎日、仕事が終わると夢中になって読んだのは初めての事です。
ネズミという存在は一般的に汚くて見つけたら即退治の対象になる。
それは人間の生活を優先して見れば仕方のない事でしょう。
私もネズミを見たら「汚い生き物」と決め付けていたのですから。
しかし人間はそれほど偉い生き物なのでしょうか?
「宇宙から見れば、人間もネズミも同じ小さな生き物」
この本を読んでからそう思うようになりました。
チッチ タータ お父さん 3匹に巻き起こる事柄はまさに明日の自分の姿。
優しさも無関心も無意識も嫌がらせも、小さなネズミにとっては命と引き換え。
自分の不幸を誰かの責任に仕立て、嘆いてばかりいた昨日までが愚かであったと
川の光は教えてくれたのです。
可愛らしいイラストと共にいつもいつまでも浄化してくれる1冊となるでしょう。
迷うメガネデブ
毎日新聞の連載を読んでいたようでしたが、本が出ているのを知り購入しました。
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