二十数年来の高野文子ファンを自称していますが、本当に寡作な方なので、あの独特の雰囲気が恋しくなると過去の作品を飴を舐めるがごとく読み返しています。自分ではなかなか説明できない心のちょっと入り組んだところの話を独特の絵で上手いこと表現してくれる作家さんです。何だか難解な作品もありますけど、この『るきさん』は主人公の「るきさん」と友人の「えっちゃん」という二人の独身女性の日常生活を描いたものなので高野文子の作品の中では、比較的とっつき易いように思います。見開き2頁で一話構成、「HANAKO」に掲載されていたということもとっつき易さの理由かもしれません。 医療事務の仕事を在宅でこなし、図書館で借りた本を愛読し、切手収集を趣味とする、流行にはあんまり興味が!ない昭和30年代のおねいさん…って感じの「るきさん」と、都内の企業に勤める、流行り物大好きバーゲン大好きな「えっちゃん」とのちぐはぐなやりとりには笑えます。初めてのカラー版です。見開き毎に数色づつしか使用してありませんが、この色使いのきれいなこと。やっぱり高野文子ってすごい人だなと思います。子育てと会社で疲れた時は、通勤電車に揺られながら『るきさん』を読んでいます。絶対リフレッシュしてくれます。お勧めです!!!
この本は作品集です。だから、いろいろな作品が詰まってるわけで、そのいろいろを説明すると文字が画面いっぱいになって、目が痛くなるし、切りがない。そこで「私の知ってるあの子のこと」という作品について書いてみたい。私はこの話に涙腺がゆるむんだ。 冒頭で「大人も子供もごったがえしていて、そんな中でまるで見知らぬ子からイーをされたことはないか」の問い。そして、以下の話は「子供はなぜイーをしたのか」について。 物語はイーなんてしたことない幸福な家に生まれた優等生ピアーヌが、問題ばっか起こす不幸な家の子のジャーヌにイーをするまでを描く。それはなんでもない話で、悪い読みをこじらせると「多感な時期にある子供はわけなくイーする」というつまんない結論になる。 私が涙腺ゆるませるところの読みとは「幸せだろうと不幸せだろうと、どんな子供も一律に社会に組み込まれる。その組み込まれるプロセスにささやかな異議を立てるのが世界全体への無差別イーだったり、不幸な子への暴力的なイーだったりする」 イーする子が不良であれば、私たちは簡単にそのイーを社会化できる。「だって、その子がイーするのは不良で不幸な環境にあった子だからでしょ。問題は不幸な子を産む家庭や社会にあるよ」なんて形で。しかし、物語のイーは優等生で幸福な家に生まれたピアーヌがする。つまり、イーは悪い社会が生むんでなく、社会そのものが生むんである。 お母さんの身綺麗にしてくれる世話もお父さんの正しいアドバイスも、ピアーヌへの社会化だ。だから、ピアーヌはジャーヌの不良さがとってもいいみたいに思える。 でも、子供は成長する。社会化を受け入れる。逆説的だが、その社会化がすべての子供の上に注がれているからこそ、イーは殺傷力を減じられるのだろう。だから、最後のコマで、この話がすべての子供についてのものであることが語られる。
高校生の時、男が少女マンガを読むってのがツウぶっている友人間で流行っていて、自分のセンスとプライドにかけて掘り出し物を見つけるのに血道をあげた。その中で、この「絶対安全剃刀」を発見したO君は僕たちに大ショックをあたえて、喜色満面の絶得意だった。「あねさとおじ」「たなべのつる」「玄関」、他のどんなマンガとも異なるまったくのオリジナリティを描き続ける「高野文子」というシンプルな名前は究極の記号となったが、本人はやっぱり「るきさん」みたいな人なんだろうなと勝手に思いこんでいる。
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