中国のこの時代を背景にしたものが好きで、いろいろ揃えました、まだ見ていませんが、これから楽しみです。
史記は有名な著作である。 しかし、大概の人は列伝しか見ないようだ。 史記を全て読むことが全ての人の人生に必要、というわけでは ないが、列伝だけでも読んだ人であれば、是非、本紀・世家といった 他の部分も読んでほしい。 古く、中国や日本の知識人たちは全編読んだものと思う。 文明が進んできた(?)にもかかわらず、過去の人たちの 教養に現代人が達し得ないというのは、イビツな気がする
史記は、いろいろな人生模様が書いてあり、自分の人生と比べて参考になります。
武田泰淳が小説家として立つ以前、以前からの中国文学への傾倒と中国での従軍体験から作り上げた、司馬遷の生きざまとその世界観の結晶化した史記の構成と執筆意図を読み解いた著作。全篇に渉って、司馬遷の全精力を傾けた世界制作の意志の高さと清さと力強さが横溢している。圧倒的な読み応えがある。
第一編では司馬遷伝、中島敦の李陵にも詳しい生涯続くスティグマを刻印された経緯を辿り、そこから雄々しく立ち上がる司馬遷の精神力を示してすぐさま第二編の史記の世界構想へとつなげていく。本紀、世家、表、列伝の順を追って、司馬遷が自らの生きる世界、武帝が統べる漢帝国へつながる歴史をいわば現代へとつながる近代史として観念し、帝王と諸侯や反逆者、思想家と文学者と文化人などが血統や友誼や打算や憎悪で相関わり相争う様をスペクタクルとして展開しつつ、かくあるべき人の生き様とその生き様が敗れ去って行くさま、かくあるべきでない生き様とその生き様が世を謳歌する様をも描きながら読むものに思索を誘う奥の深い著作であることを、武田泰淳独特の気息の効いた文章で一気に示していく。
順風満帆である境涯に二度と戻れない屈辱を受けた人間が、どうやって誇りと意地を失わずに男子一生の仕事を成し遂げたのかという姿には、強い感銘を受ける。生きていることが間違いであるような人生、生き地獄を一日一日生き伸ばしていくしか術のない運命の下で、司馬遷は歴史を立てることで後世の歴史書の規範、世界観の典型の生みの親になった。そんな司馬遷の姿を見出さずにいられなかった武田泰淳の深い欠落感にも、思いが及ぶ。
人間精神の尊さと凄まじさに思いの及ぶ一冊。
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