TVはSONY ブラビアE1000 42V。デッキはPS3。音声はパイオニアPS−W1。
画質、音声ともにほぼ最高のものでしょう。ですがそれが逆に当時の公開を知っている者としては「ここまで鮮明な画像じゃなかったのになぁ」と思ってしまうかも知れません。
この映画が話題になったのは、この映画の撮り方にありました。それは役者をこの映画を撮るだけの為に数ヶ月間もの間、軍事訓練に従事させ、実際の
キャンプで生活させたというやり方です。これは当時、結構な話題となりました。そこまでして監督が撮りたかったものは一体なんだったのか?
今、これよりもリアルそうな戦争映画は山ほどあります。迫力ある戦争映画も山なりです。
ですが、自分はふと「戦争映画と問われたら?」と受ければ「プラトーン」と答えてしまうでしょう。それは、兵士の持つ「倦怠感」が映像から伝わってくるためです。ジャングルと、血と汚泥と雨が容赦なく兵士からあらゆるものを奪ってゆきます。ただひたすら消耗してゆくのです。正常な判断力、友情、信頼、規律、体力何もかも磨耗し続けていきます。それをオリバー・ストーン監督は我々に伝えたかったのではないでしょうか?
武器であるM16A1はアルミ・アーロイの地肌が浮き上がり、ヘルメットもファティーグもボロボロ。心身ともに最低の環境を這いずる毎日。
ここには、正義も悪も、愛情も友情もありません。嬉々として戦場を駆け巡る英雄も居ません。傷ついた身体を引きずって、死にたくない、もうこれ以上失いたくないというだけで這いずるように走る兵士が居るだけです。
それを何故、我々に伝えようとしたのか?それを最近は痛切に感じます。自分は製造職場で20年以上勤めていますが、やはり思うのは我々も広大な社会の中の「プラトーン」なのです。社会は広大であっても、接する人間関係は決して広大でありません。その中で我々は日々「クリス」であるし常に「バーンズ」と「エリアス」のような二極の先輩のどちらかに付くか、選択を常に迫られます。何もかも磨耗し続ける毎日の中で、です。
戦場は常にそこにあり、我々は生涯「プラトーン」の一兵卒に過ぎません。果ての見えないジャングルは人生そのものでしょう。何もかも磨耗し続ける中で、とうとう敵も味方も判別できなくなって行く毎日。これは特別な事ではありません。我々が面と向き合う日常の中です。
何もかも失う毎日の中、ある黒人兵士がつぶやきました。
「・・何故だか知らんが、俺は無性に悲しいぜ」
自分にとっては、永遠に忘れられない言葉です。何が悲しいのかすら、もうわからない生活が、この映画では淡々と、そして延々と綴られるのです。
この最高の映像環境で、是非、一度味わっていただきたいものです。
そこには「我々」が居るのですから。
泥沼化に陥った
ベトナム戦争。志願兵としてやって来た 白人青年クリス(チャーリー・シーン)の見た地獄の
ベトナムとは?。 80年代後半一大ブームを巻起こした
ベトナム戦争映画の火付け映画。 監督の実際の体験をもとにしただけあって、今までの戦争映画に無かった 緊張感があります。それと同時に見所はトム・ベレンジャー、ウィリアム・デフォーの
圧巻の演技。二人とも
アカデミー賞にノミレートされていました。
アカデミー賞最優秀作品賞、監督賞、音響賞、編集賞受賞作品。
作品賞を受賞というのはわかる気がしますが、それほど手放しでよい映画であったとは思いませんでした。善悪を持ち込んで参戦した主人公がエリアスに惹かれ、善悪など前線では無用のバーンズと結局は同じことをしてしまいラストの「エリアスとバーンズの子のように・・・・」という言葉をはくまでにいたってしまう現実とその悲惨さを描いたという点はよかったのですが、良くも悪くもそれだけで少し拍子抜け。
「地獄の黙示録」が帰国したにも関わらず母国に居場所がなくて結局、再度戦場を求めてしまうウィラード大尉と戦争おこす現実の世界に自分の居場所を求め、王国をつくってしまったカーツ大佐のような人物、居るべきところを全く喪失してしまった人々へのオマージュであったように、本作も戦争状態!で非人間性を失った人への哀悼のように見えてしまい(主人公の心のうつりが)非常に残念・・・・・。