決して直接的に原爆を描かず、原爆前、原爆後の人々の営みを通してあの惨劇を浮かび上がらせてきた竹西寛子。 「五十鈴川の鴨」に描かれる被爆者の岸部は、家族を作ることなく静かにこの世を去る。 愛する人に語った「我儘かもしれないが僕だけの一生で終わらせてほしい」という重い言葉。 原発と原爆はちがう、という声もあるが、先日新聞の投稿欄に福島の女の子たちが「私たち結婚できないかもしれないね」と話していたという記事と、岸部の言葉は同じ磁場から発せられている。 今年この小説集が出版されることは意義深い。
『詩歌断章』を慌てて購入。改めて勉強中です。 《 ひとこと 》 石山寺に行った時、芭蕉の句が、改めて自分の心にしみこんできた。中学などで『あたま』で理解していたのとは全く違った深いv印象が懐かしく思い出される。本当に蝉の声はうるさくて、暑苦しくて、登る石段にため息をついた。頂上手前で??? 蝉は? あのうるさかった音は? 句碑があった。 『岩にしみいる蝉の声』で納得させられた。
『こう言った表現があるのか』と、今勉強中です。色々な事象の表現にも色々な言葉が用いられること、それによって・・・ と言うことはこの本の主題で今更繰り返しても無駄であろう。 しかし。『なるほど・・』と納得させられ、学校の勉強を、思い返すことがしばしばあったことは、未だに覚えている。『感動』の一時でもある。
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