アメリカ編は、アナザーストーリーとして、とても良質です。
平成元年の作品であることが、作中で判る、という硬貨の刻印みたいな「おまけ」もあります(苦笑)。
特に印象に残っていたのは、征士が拉致られて洗脳されるシーンでの、心象風景。閉鎖的な悪夢の映像なのに、やけに美しかったですね。
後は、NYポリスの反応は、東京の警察より半端じゃない、という対比ですかね。相手が、不審であれば、トルーパーであろうと容赦なしの、制圧をしてきます。ここら辺は、本編の初回と見比べて観る価値が充分あり、です。
アフリカ編では、トルーパーたちの、人間としての成長が、皮肉にも「衝突」という形で描かれていて、あまりの痛々しさに、純少年じゃないですが、「やめてよう」と叫んでしまいそうです。
後に、池田監督がガンダムWで、提示されるテーマの片鱗も、このアフリカ編で垣間見えます。
作画も、村瀬氏と塩山氏が2話ずつ担当され、クオリティは、今も色あせませんし、この作品が、オリジナル・ビデオ・アニメを商業ベースに乗せた功績は、もっと評価されていいと考えます。
最後のメッセージ・シリーズは、実に情緒的で、物語として追うには辛いというか、ほとんど、旧作シーンをつなぎ、それを「和歌」として、ナレーションによる「解釈」が展開しますので、新作映像の少なさも加味し、正直、お薦め度は高くありません。
エンディング曲は、最高にお薦めなだけに、この「実験作」で〆、とするには、残念です。
別な意味で、後のガンダムSEEDディスティニーの、物語を度々寸断した「相次ぐ総集編」の挿入の、雛形にもなったのかも知れません。同人誌的なテイスト、あり、です。
ともあれ、登場人物たちが年齢を重ねて、環境を変えていくことを、普通にやる、というのが、とても、サンライズ作品らしく、かつての「
宇宙戦艦ヤマト」シリーズに対する「
機動戦士ガンダム」シリーズのポジションを、「
聖闘士星矢」に対して「
鎧伝サムライトルーパー」も同じく「やる」という差別化が、洋風、和風というテイスト以上に、リアル感を、多少なりとも追求したということで、個人的ですが、好感が持てました。
私は仕事の都合上で7回の引っ越しを経験し、そのたびに雑誌やCDを処分していたのですが、あの曲をもう一度聴きたい!という事もあります。保存状態が非常によく、前の持ち主の方も何か特別な事情があって手放したのだろうと思いました。誰でも知っている有名な歌手というわけではありませんので。。。