「ロバのパン」と言っても、今の人たちは誰も知らない。
敗戦後の日本がようやく復興の兆しが見えてきた中、この「ロバのパン」は光り輝く未来の象徴であり、昭和30年代の栄光の思い出である。
生まれ育ったところは田舎だったが、稲刈りや麦刈りの季節、近所の農家の子どもが羨ましくて仕方がない時があった。農作業の合間のおやつとしてロバのパンを食べていたからだった。村に一軒しかないの駄菓子屋しかない時、砂利道の向こうから軽快な音楽を鳴らしながら
紅と白の縦じまに塗られた車体をロバが引いていく。ショーケースには色とりどりのパンが並んでいる。
ケーキなど年に一度口にすることができるかどうかという頃、「ロバのパン」は夢とあこがれだった。
母親の機嫌が良い時か給料日直後なのか、幸運にめぐり合わせてチョコレートパンにかぶりついたときには、蒸しパンとはいえその甘さに喜びは頂点に達したものだった。
しかし、遠くからロバのパンの歌が聞え始めると、そそくさと用事を見つけて母親が姿をくらます時には「食べたい」けど「食べられない」の悶絶の苦しみが待っていた。
そこに近所の農家の人たちがおやつとして「ロバのパン」を食べている。その大人たちの輪の中に幼なじみがうまそうに「ロバのパン」を頬張っているのを見たときには、羨望と情けなさが入り交じって下を向いて他所に行くしかなかった。
ときおり、ライトバンにメロンパン、タコ焼き、わらび餅などを積んだ車を目にするが、移動販売の元祖ロバのパンも今や軽自動車である。たまたま営業の途中、
京都の亀岡市でその車をみかけたが、時代の変遷とはいえロバのいないロバのパンは淋しかった。実際はロバではなく、ポニーとも馬ともいわれていたが、これが買っている最中に糞をするのにも懐かしい思い出である。
「ロバのパン」のテーマソングがCDとして付いているが、これを聴くと一挙に昭和30年代の世界へと引き戻されてしまう。