一言で書いちゃえば、
「♪あ~心に愛がなければ、(ゲーム内でも)スーパーヒーローじゃないのさ~♪」
ということか。
キャラゲーの宿命か、「
キン肉マン」への(以下省略するが、「愛」という言葉の前には必ずこの言葉がつく)愛があればあるほど、不満点もたくさん出てくる。
対戦格闘プロレスゲームとしては一応の完成度はある。プロレスゲーム的な駆け引きやロープやリングポストを使った攻撃も楽しめるし、格闘ゲーム的なコンボをつないでいく快感もある。ただ、プロレスゲームにしては関節技の扱いなどが少々甘いし(基本的に関節技はかけるだけで、ダメージを与えたらすぐに離す。「2世」では関節技がかなり重要な役割を果たしているのだけどな)、肝心のリングサイドでの攻防がない。格闘ゲームとしてはこれも肝心のキャンセル技が使えない。それに格闘、プロレス、両者のゲームとしては、技数が少なすぎるようにも思える。このどっちつかずの中途半端なゲーム性を「
キン肉マンの世界の超人対戦アクションゲーム」として是とするか非とするか。愛があるのなら、間違いなく是、なのだが。
FC版「
キン肉マンマッスルタッグマッチ」におけるミートくん的な役割(ミートくん自身も登場するが)を持つセコンドからのお助け&お邪魔アイテム、セコンドアクションの存在は、「
キン肉マンゲーム」ではもうお約束の感すらあって楽しい要素の一つだし、その超人独自の技や必殺技の演出(特にタッグコンビネーション技)は一見の価値あり。それから、「
キン肉マン」の世界ならではの技(ザ・ニンジャの「順逆自在の術」、万太郎の「マッスルミレニアム」、
キン肉マンの「マッスルスパーク」など、現実では絶対再現不可能な技や、はっきり言ってそれ痛いの?というような技など)も使っていて楽しい。
ただ、せっかくのフルボイスなのにも関わらず、ストーリーモードがかなり安直なのと、一部の応募超人が既存選手の技を流用していること(これは絶対に許せない!)、「
キン肉マン」ならではのルール、リング(ある程度ビジュアルでは再現されているのだけど、ただその絵がマットに描いてあるだけ)がほとんど採用されていないのは×(バトルロイヤルは好きだけど)。「2世」で登場するWWE的なTLCマッチは、他のプロレスゲームでも再現されているので、再現はさほど難しいとは思えないのだけど。
リングサイドの攻防がないので、当然「金網デスマッチ」や「ソードデスマッチ」(こちらもビジュアルでは再現されているけど)もない。「
キン肉マン」の魅力の一つには、こういう独特のリング、対戦方式にもあるのにな。観客席にこっそりと潜んでいる超人は、一部の人には受けるのかもしれないが、ゲーム的には無意味。
こんな演出や応募超人を入れる暇があるのなら、コスチュームの数を増やしたり(ラーメンマン→
モンゴルマン、テリーマン→
キン肉マングレートなど。後はセコンド用のコスチュームも用意して欲しい。特にロビンマスクとウォーズマン)、「
キン肉マン」や「2世」の超人を一人でも多く登場させるべきなのではないか、と思う。
こんなにもたくさんの不満点があるのに、購入して一週間ほどで、現在顰蹙を買いまくっている「あの謎の隠し超人」も出し、「キン消しモード」(試合に勝つとコインがもらえ、それを元手にガシャポンをして、懐かしの「キン消し」を集めるモード)をフルコンプしている僕がいる。なぜだろう。これが愛なのか?
キャラゲーはその性質上、購入層が限られてくる。いわゆるメインターゲットは、ちょうど僕と同世代の「初代
キン肉マン」層と、主として放映中のアニメ版「
キン肉マン2世」から流れてきたキッズ層なのであろう(実は、この2つの層を取り込もうとして中途半端なストーリーモードを作ったり、OPでウォーズマンの体内のリングなのに、観客の歓声が聞こえたり、2世のOPテーマが流れたりするのも許せない)。しかも、これもキャラゲーの性質上、(ゲームも原作もアニメも)売れなければ、続編がない。このゲーム、かなり惜しいところまでは行っている。そもそも今までの「
キン肉マン」ゲームの中では最高の出来なのは、間違いない。「ゲーム部分」はこのままでも良いから、超人数を増やして、リングサイドでの攻防、独特のリング、試合形式を取り入れてくれれば、より良質でかつ史上最高最強の「
キン肉マンゲーム」に仕上がるだろう。ただ、次回作が出るかどうかは、このゲームの売れ行きが非常に深く関わっている。僕に愛があるのなら、もうこう書くしかない。
君に愛があるのなら、何も言わずに買いなさい。
君に愛があるのなら、GCも一緒に買いなさい。
君に愛があるのなら、テレビも一緒に買いなさい。
心に愛がなければ、君はスーパーヒーローにはなれない。
心に愛があるのなら、君は(ゲームの中では)スーパーヒーローだ。
主人公であり
キン肉マンの息子である万太郎は14歳という設定で、その設定がこの作品のミソとなっている。
彼は超人としての卓越した格闘能力、身体能力を有しながら、精神的にはまだ臆病で自立心に欠けぜんぜん未熟、というアンバランスな存在として描かれており、そのアンバランスさがキャラクターとしての非常な魅力となっている。
そしてその心身のアンバランスさは、敵キャラクターや仲間キャラクターたちにも当てはまる。
ある超人は自分の醜く焼けただれた顔を憂い、人を殺して顔を剥ぎ取る悪の道に走る。
ある超人は優秀な能力がありながら、気が弱く優しすぎるせいで実戦で能力を出しきれないジレンマを抱えている。
そういった彼らの心の弱さ、言い換えれば超人らしからぬ不完全な人間らしさが、様々な秀逸なドラマを生み出していくのだ。
そういった心の弱さからの主人公たちのゆっくりとした成長が丹念に描かれていて、前作より感情移入しやすい。
また、80年代少年漫画が特有していた「熱さ」を現代にも通用する形に昇華させた名作だ。
これは単なる名作の続編だとか番外だといった類のものではない!