OKINAWAシリーズは全巻購入し、毎回高画質化していることに感動すら覚えました。
今回は沖縄からいよいよ
九州に突入、期待せずにはいられませんでした。しかし冒頭の空撮(だから仕方無いと思うのですが・・)からは今までの印象とは違うものを感じました。バリカム撮影は変わっていないと思うのですが・・・何かもの足りない。圧倒的な高画質を売りにしてきた今までのシリーズからは微妙に後退したようにも思えました。
やはり今までの沖縄の地での太陽光の強さが、コントラストを生み視覚的には最高なものを得られていたのかもしれません。もちろんVicomリラクシーズなのでこの
九州編も、他社さんのこの手の作品とは比較にならないほどレベルの高いものです。
収録内容は殆ど滝・水・森の映像が殆どで、うまく言えば癒しの真骨頂!言え変えれば後半飽きてきます(私は途中で熟睡してしまい又見直しました・・・)。
収録音源フォーマットはDTS-HDからDD-THHDに変更になりました。こちらも一瞬は後退?とも思いましたが予想を裏切り大変満足度の高いレベルでした。とくに冬シーンの冒頭の吹雪の重低音の迫力は良かったです、ほんとリアル。
OKINAWAシリーズとは違うものと思えば満足できるし、また今後、別の地域での収録も(来年?)楽しみにしているので期待を込めて☆☆☆☆!
私的には是非、北海道での撮影を期待したいです!!
『
水源』を読みながら、ロークの創造する建築物を思い描こうとして、私はふと学生時代を過ごした校舎を思い出した。その外見は、愛想のないコンクリートであったけれど、なかは四季を通じて快適であるよう工夫されていた。「A building is as good as its architect.」が口癖だったという
建築家が、「人間の尊厳のために」をモットーとする大学の校舎設計で目指したのは、「世界中いたるところにある陳腐で、平凡で、つまらぬ、無意味かつ偽りをそのままあらわしたような広場、柱廊、広い階段その他もろもろの金のかかった虚飾だらけの大学とはまったく異なる、日本のデザインの哲学をそのまま具体化したような大学の建物をつくる」ことであったと、卒業後に知った。
さて、『
水源』のロークは願う。「自分が選んだより良い人生を生きたい」と。それは人間としてごく自然な欲求であるはずだ。だがそのために、「優しい声と顔で自己犠牲を称揚する社会の良心」であるトゥーイーによって社会的抹殺の危機にあう。いったい何が問題なのか。トゥーイーが未来に思い描くのは、「他人からどう見えるかという威信のために人間が働く世界」である。ここで思わず我が身に問う。果たして私は日々、ひたすらに自分の頭で考え、より良く生き抜こうとしているのかと。そしてロークは所詮、物語の登場人物でしかないと、切り捨てて良いのかと。
訳者藤森かよこの、「主体など幻想だと何度言われても、私が生きることができるのは、私自身の生だけなのだから、私は私の主体になるしかない」という声に心惹かれる者に、『
水源』は生きる勇気を与えてくれる。
ひと言で言うと
ブラジル風のストラヴィンスキー風。
こんな言い方をするとヴィラ=ロボスとストラヴィンスキーの両方のファンからお叱りを受けそうであるが(笑)、先ずその様な印象を受けるのだからしょうがない。
文学的テーマも似ている。ヴィラ=ロボスのテーマは
ブラジルを支える大自然・神話的世界でもある大アマゾン川と流域の大ジャングルである。
特に一曲目「創世記」はバレエ音楽だからなおさら手法が共通しているように感じる。変拍子こそ使っていないが。
似ているから悪いと言っている訳ではない。充分に「ヴィラ=ロボス」の表現になっている。
二曲目これもバレエ曲「浸食(アマゾンの
水源)」はドビッシーを彷彿とさせる幻想的な前半から重厚な響きの後半部に展開する。
ここでは「
ブラジル風バッハ」的な貌も見せる。そして静かな終結部。
第三曲交響詩「アマゾン」
第四曲序曲「熱帯林の夜明け」 もラヴェル的である。
フランス留学時に影響を受けたであろうその時代の最新の書法を用いて書かれていることがよく解る。
ライナーが苦手な
英語なので読めないのだが、なんとか判読するとヴィラ=ロボス最晩年1950年代の作品群らしい。 「完熟」した充実のオーケストラ曲集である。
1991年のデジタル録音。
入門編には「
ブラジル風バッハ」9作をお薦めするが、中級以上の方には是非入手していただきたい逸品である。