今目の前にある映像が何なのかは理解できる。ただ「なぜ」今目の前にあるのかがわからない。そんな状況は人を不安にさせる。そして突然現実に(文字通り)放り出される。ジョン・キューザックは
タイトルになっている穴でそんな経験をする。そしてこの映画を見ている観客も彼の目を通して同時に経験する。登場人物の目を通して同じ体験を共有することは映画にとっては当然ともいえるが、その見せ方におけるある意味発想の逆転がこの映画のミソ。「なぜ」が解消できると、この映画のアイデアに、パズルが完成した時のような快感があった。
登場人物が次々と同じ体験をすることになるのだが、終いにはこの映画のキーパーソンが同じ経験をすることで、悪ふざけというかシュールな映像が現れる。見る人によってグロテスクだったり、笑えたりと受け取り方はさまざまだと思うので是非自分の目で確認頂くことをお勧めする。
評価の分かれる映画だと思うが、個人的には非常に印象に残った。ありきたりな映画に飽きた人にお勧め。
もし僕が僕じゃなくて、有名な俳優に生まれていたら、僕の人生はどうなっていたんだろう?
もし人間の
身長がもっと大きければ、建物の大きさももっと大きかったんだろうか?
授業中に窓の外をボーっと眺めながら、暇な脳ミソをそんな疑問で遊ばせていた人にお薦め!
つまり、これは「日常を異化する発想」に彩られた映画です。
僕たちが通常、「絶対」だと思っている事柄や状況も、決して自明ではないんじゃないか。
そんな疑義が語られているからです。
ならば、「ありえたかもしれない別のバージョン」を考えてみよう、というのがこの作品。
そして、もうひとつ、全編を通して一貫している要素は、登場人物がみんな「操られ/踊らされている」ということ。
人形使いクレイグ・シュワルツは、映画俳優
ジョン・マルコヴィッチを操り、その肉体を使って人形を操る。
そのクレイグも、愛する女性マキシーンに人生を操られる。
マキシーンは、1回200ドルで「15分間のマルコヴィッチ体験」を商売にし、物好きな民衆が群がり、踊らされる。
そして結局、珍騒動に人生を掻きまわされる彼らは、奇妙な一つの「穴」に翻弄されているのだ。
設定やその仕組みの細かい説明はされませんが、そこで整合性が取れていないなどと文句を言ってはいけません。
そんな違和感はコミカルな描写が霧消してくれます。
あとは、漫画でも見るような気分で楽しみ、監督や脚本家の意図を自由に深読みしてみましょう。
映像としては、操り人形や、飼い主の言葉をただ繰り返すオウムなどが象徴的に登場するので、作品のコンセプトを探る手がかりになるはずです。
戸惑いつつ、1週間後くらいにもう一度観たくなる映画でした。
I have received the purchase in good quality. Thank you very much.