1月末の銀座・有楽町を襲った昼間の爆撃から、なぶり殺しのように徐々に焼き払われていった東京の空襲は《かならず来るはずの災いが、半月もひと月してもやって来ない。だからと言って、避けられものではない。そんな半端な状態は人の心身をけだるくする。。けだるさは大人たちの物腰にも見えた》という状態となり、5月24日の東京・西南部を山の手から郊外まで焼き払った空襲で古井さんの家も焼かれます。さらに、疎開先の大垣の父親の実家も7月末に焼き払われます。落ち延びていく途中の甲府も名古屋も焼き払われていき、終戦を迎えるという経験は、ある種の記憶をなくさせる、と古井さんは何回も書きます。そして「モーナイ、モーナイ」というGIにたかる《闇屋のはしくれ》となり、なんの間違いかアメリカから大量に援助された赤砂糖をつかったカルメ焼きを、何もすることがない大人たちが投げやりに焼いているのを横目で見るような戦後が始まる、と。
やがて朝鮮戦争も終結し、結核の特効薬も入り、栄養状態も良くなりますが、この時期に手術をした古井さんの友人には売血で受けた点滴から肝炎に苦しむ人も出てきて、それなりにまだ陰惨な時代は続きます。この頃から「蒼い顔」をして歩く若者が少なくなっていったと書いていますが、なるほどな、と思うと同時に、若い時に成長に使われる栄養が足りないと、結核になりやすいのかな、なんて思ったりもします。
徳田秋聲の作品に東京の風景がよく描かれていというので、それも(p.126)。《狂いに落ちる過程をたどることはまだしもできても、狂いから立ちなおる過程を追うのは、これこそむずかしい》というあたりは、中井久夫先生の寛解過程の話しにも通じるかな、と(p.153)。連歌に興味があるというのも始めて知りまして、『芭蕉七部集』あたりちゃんと読もうかな…とか。
6月に
四国八十八か所と高野山へいきました。最後に高野山にて受戒
をいただき、弘法大師、真言密教を勉強してみたくなりました。
戦後第一世代の作家として著名な古井由吉の出世作。この世代の中では彼が最も「内向の世代」にぴったりな作品をつくりあげているが、特に「杳子」は神経を病んだ女子大生とそれゆえに彼女に惹かれてゆくという主人公の関係を描いた作品なので、余計にその感が強い。しかし、ひとむかし前の作品との違いは、「心理主義」では書かれていないことだ。むしろふたりのやり取りや外的な状況の描写を通じてふたりの心理を浮かび上がらせているという手法が新鮮な印象を与えている。結末が予定調和的にならないのも、このふたりの関係と著者の視点から言っても、ある程度予想のつくことだと思われる。
文学の足跡は、不安に駆られた精神により、立脚点を求めての生の心象や物象への形象化を辿ってきたと言えるでしょう。文学によるその営みが閉塞して久しいなか、それでも村上春樹氏の文学が強い支持を得ているのは、その意味において必然と言えるかもしれません。
古井由吉氏の文学がその閉塞感を出発点としているのは、他の文学者と同様ではありますが、氏の試みは閉塞感の突破による前進を図りはせず、生の源泉へと遡行している点において他の文学者とは全く異なっており、それは『杳子』から『槿』、『山躁賦』を経て、『やすらい花』などの近作に至る足跡に明瞭に見て取れます。本書に収められた八篇の連作は、いずれも現時点での氏の試みの最先端にあります。
古井氏の文学は、光の届かない深層に沈殿している生の声に耳を傾ける試みだと言えるでしょう。他の文学作品の殆どが水面に揺れる光と色を捉えようと汲々とするなか、古井氏は淡くなる光を頼りに、水面で弾けた泡のような現象をその始原に辿り、底層で腐朽を辛うじて免れているかのような生のふつふつとした音に耳を傾けます。そしてその音はいつしか、水面に躁ぐ生の呻きをよそに、淡くも鮮やかな生の楽を奏でています。そこに現れるのは私一己だけのものではない、何かに生きられた生の放つ淡い光のような私に他ありません。変化と躁狂を是とし、沈滞を生の異形と見做しがちな人々は、古井氏の文学を退屈と呼び、自身の生の昏い光から目を背けるかもしれません。
古井氏の叙述は決して難解ではなく、言葉を読み手に従わせようとせず、読み手の心身を言葉に委ねさえすれば、そこから時と場を超えた風景が広がっていきます。ではそれは詩的技法かと問われると、そうではなく、詩的散文などと言ってお茶を濁したくなってしまいます。詩ほど切迫していないが故の蒸散のような淡い豊穣さとでも言えるでしょうか。そしてそれは、生を時と場に幽閉したがる小説へのアンチテーゼでもあるでしょう。さらには、 懐疑を偽った生からの浅はかな逃避などではなく、生を見極め、生を濃密に生きようという意思の現れであると言えるでしょう。
人は遮蔽のうちでしか生きられない。(「明日の空」)
しかし、それでも、その外の生を、狂おしく、希って。