アーネスト・ゲルナー、エリック・ホブズボウム、アンソニー・スミスなどと並び、現代ナショナリズム論を代表するベネディクト・アンダーソンによる、言わずと知れた名著。 国民国家を「イメージとして心に描か描かれた想像の政治共同体」と再定義するアンダーソンによれば、そのシステムの構築を担ったものは近代における印刷技術の発展であり、出版資本主義の勃興である。前近代的な「宗教的・メシア的な時間」は、マスメディアの台頭により、特定の言語を共有する人々の間で流れる、「均質で空虚な時間」に置き換えられた。また出版物の広がりにより、人々は特定の言語の場の中にそうした時間を共有する同胞が存在することを認識し、国民国家という共同体は想像されうるのである。 現代において、この本が提供してくれる認識論的枠組み、すなわちマスメディアが政治的共同体を構築してきたという主張は示唆的だ。押し進めて言えば、国民国家とはマスメディアが造り出した虚構的な政治共同体であり、ある種脱構築可能であるという事であろう。アンダーソン自身、強固な我々という意識に支えられたそのシステムは、排除性、暴力性と切り離す事が出来ないと危惧しており、現代における我々は常にその代替可能性を模索すべきであろう。この名著の最大のインプリケーションは、紋切り型のフレームで国家論的な支配的言説を塗りなおすだけの日本のマスコミに対するアンチテーゼであると主張するのは果たして言い過ぎであろうか。
本書『想像の共同体』は、数あるナショナリズム研究のなかでも、もっとも有名な著作のひとつであろう。著者ベネディクト・アンダーソンや著作について知らなくとも、「想像の共同体」という言葉を知る人も多いと思う。本書は、ゲルナーの『ネイションとナショナリズム』などと同様、ネイションを近代化の産物と捉える。とりわけ、著者が「出版資本主義」と呼ぶ、印刷物の流通によって、ラテン語を共通語とする特殊キリスト教的共同体以外でも、人々の流動化が進むことによって、ネイションの形成へと向かうことになる。いずれにせよ、ネイションとはいわば「擬制」であり、アンダーソンは、それゆえネイションを、「想像の共同体」と称したのである。本書を、アンソニー・スミスの著作と対比するのは興味深い。
本書は、CBRを必要とする関係当事者に、多種多様な方法論と実例を示し、その成果と限界を提示した今までにない参考書といえる。特に、開発途上国で障害者のリハビリテーションを支援したいという心ある人たちに対して、地域を舞台としたリハビリテーションのあり方に関して多くの示唆を与えてくれる。将来、開発途上国でのボランティアとして活躍したい人たち、特に医療保健福祉の専門家を目指す人たちにとっては必読の専門書となるだろう。写真など現場の雰囲気を伝えてくれる資料が含まれていないのが唯一残念なところだが、本書を発行した障害関連NGO連絡会(JANNET)のホームページなどに紹介されている日本のNGOの活動現場などの情報を合わせて参考にすることをお勧めする。
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