この「実録阿部定」を見た後、「愛のコリーダ」も見たが、後者は全然ダメ。こちらの方がはるかに優秀作である。
定と吉が恋に落ちるところ。酒びたりになり、情事ばかり交わすところ。じゃれごとから吉の首を絞め、殺してしまうに至るところ。
全てが定の心情がよく出ていて、作品に入り込める。
作品性としても、リアリティ性としても、こちらが遥かに上だ。俳優の演技も良い。
阿部定事件を描いた映画でどちらを見たらいいかと言われたら、間違いなく「実録阿部定」をお勧めする。
日活ロマンポルノ作品は他には見ていないが、イメージ的な「ロマンポルノ」とは違っていて、良い作品があったのだなと思わせる作品だ。
阿部定事件をモチーフにしながらも、舞台は時空を超えて訳の分からない展開を見せる、前衛ポルノ(この表現自体が、前時代的か?)ですかね。とどのつまりは、タイトル通りに“情念”の世界を描いた作品なのだと思います。
何かと言うと屁理屈をこねくり回して、定と愛人の情事にチャチを入れてくる内田裕也ほかの敵キャラがおかしいですが、そんなのどこ吹く風で、脱ぎまくり、ヤリまくる、杉本彩の色情狂っぷりが相変わらず凄いです。
阿部定は、105年前の1905年5月28日東京は神田生まれの芸妓。
老舗の畳屋の娘として生まれて、入学する前から常磐津や三味線を習い、近所でも評判の美少女だった彼女が、やがて歴史に名を残す≪毒婦≫になるのは何故か?
ひとりの、本来なら平凡に生きる運命にあった女性が、あの事件を起こしたことである意味では時代の寵児となって、生涯その悪女の烙印に翻弄されて苦渋の一生を送ることになります。
ことの顛末は、1936年、彼女が31歳のとき、不倫で愛人関係にあった石田吉蔵を、サディズムとフェティシズムの果てに性器を切り取ったあげく死に至らしめたという事件を起こしたことです。
彼女としては、ただ単に愛した相手を他の誰にも渡したくない、独占したいというしごく当り前な感情から、そして快楽を追求するあまりに、ことの最中に首を絞めたりして“死んでしまうような恍惚感に到る(石田吉蔵が)”ことの、双方の結果から、死んでしまった愛する人から躊躇なく大事なものを切り取ったという訳です。
やっぱりなんといっても、1936年という年に起こったということがすべてを運命づけていると思います。
この事件が5月18日。そのわずか3か月前には、あの歴史を揺るがす大事件の二、二六事件が勃発しています。
言い知れぬ不安とか鬱屈した雰囲気が充満していた、まさにそのとき、けっして喝采を浴びる明るいニュースではありませんが、世間の常識を逸脱した猟奇事件ではありますが、何か息苦しく覆っていた厚いベールをひきはがすような、一瞬ふたが開いて新鮮な空気がスッと入ってきたような感じがあったのに違いありません。
すべては、彼女が、16歳で初潮をむかえる2年前に慶応義塾の学生にレイプされたことから人生が始まったように感じたことの演繹なのか、それとも、父親から女衒に身を売られるような不幸な身の上を押しつけられたことからの必然の帰結なのか。
とんでもない、あるとき一瞬でも敢然と、自分の運命は自分のもの、どうあっても変えてやろうと思ったはずです。
記述日 : 2010年05月28日 11:15:14
この映画の出来不出来を言うよりも、実物の阿部定が、逮捕時に見せた笑顔からこの人の痛烈な生き様、ニンフォマニアックと診断された 究極のエロを秘めた女の当時の事件の背景や、そんな残酷な事件が 世の中を返って沸き立たせたというそのものずばりの事実に 大変興味を持ちました。服役中も定がひょっとして姿を現すのではと ムショの前で待ち続けた輩がいるとか、服役中に結婚の申し込みを 400通もらったという仰天事実のほうが面白いので、 映画の出来は、ちょっと深みがないように感じました。 幼稚な印象を受けましたね。雨が降ると不幸な日なんていうのは 当たり前すぎる設定で面白くないんじゃないですか。 後、鶴太郎が、もう少し役不足、声が小さいし、わざと大声 張り上げずにヤサ男の色男ぶりを演じていたのかもしれないけど 実物は、ものすごい美男子だったというから、鶴太郎じゃ違うん じゃない?
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