ぼくは団塊の世代の一人。戦後間もなく東京の片田舎に生まれ育ちました。『庄太』は岐阜が舞台だけれど、ぼくのうまれた東京の田舎とそれほど自然環境は違わない。当時の子ども達のすることも変わりない。で、懐かしさいっぱいの『庄太』上巻を瞬時に読破し、待望の下巻を
手に入れ、これも「瞬読」してしまった。
ぼくの田舎は栃木。岐阜とは遠く離れているけど、この本に描かれている世界は同じ。昭和30年代に小学生だったぼくには、庄太と同じ日常を生きていたんだ。まだ、「昔はよっかた!」と言いたくないけど、やっぱ30年代はいい!!
落語の登場人物は、いつだって、たいてい、愛すべき人々だ。
勝川マンガの登場人物も、いつだってのんきで、愛すべき人々ばかりなのだ。ここに勝川氏が、落語マンガを描く必然性がある。同じ落語が、演者によってまったく違うはなしになることは、周知の事実だ。だからこのマンガは、柳家でも、古今亭でも、立川流でもない「勝川流「落語41席」になっている。なんて贅沢なんだろう。
こんな時代だからこそ、人間に必要なものは、ほんとうはなんだったのかってえことを、そっと思い起こさせてくれるのが、落語であり、勝川マンガなのだ。
落語「通」検定1級の、ちょっとうるさいオヤジが、おすすめする、絶好の落語入門書!ミミズの心臓、ノミのため息
こういう漫画を読めばささくれ立った心も必ず漫画の絵のように丸くまるーくなっていくことでしょう。勝川克志の作品は70年代末の「暗闇ランプ」以来好きですが、多作家ではないのが残念。ファンタジーにしても本書のような昭和30年代にしても、丁寧にほのぼのとしたタッチで描いていますが、それは非常に壊れやすそうな世界でもあります。失いつつある、あるいはもう失ってしまったものかもしれません。そう思いながら絵をながめていると目が潤んでしまいます。
周りとちょっと違う、周りにうまくとけ込めない、ということだけでいじめの対象になってしまう子供の世界。
大人の世界も同じかもしれない。
ちょっと変な転校生レオナとごく普通だけれど親友のいないテツヤが友情を育む過程がさわやかに描かれています。
いじめをテーマとした物語はいじめる側の陰湿さやいじめられる側の苦悩を延々と語りがちですが、この小説は
二人の少年の成長に力点がおかれ、読んでいてとても前向きな気分になります。いつしか二人を応援している
自分に気がつくはずです。
いくつかの謎がそのまま明かされないのも児童文学らしく余韻を残してまたいい感じです。
大人にも子供にもすすめられる名作です。
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