この本を読み、唐突ですがイヴリン・ウォーの「ブライズヘッド再び」を思い出しました。一次大戦と二次大戦の間のイギリスの上流階級で、10代の終わりに深く関わった友人たちが中年近くなって再会する話です。アル中になったり疲れたり傲慢になったりしても、若いとき芯になっていた美点は損なわれず、そのまま持ち続けていました。 グロテスクの主人公たちは高校時代の醜さをさらに醜くしている。(自分の美しさにさえ無関心なユリコは除く。)やりきれないのは、和恵の家庭はどこにでもある平凡なものですし、学校も会社も多少の誇張はあっても現実そのままということです。(均等法以前の四大卒女子の扱われ方なんてあんなものです。)幻想を持つことが出来ず、現実の耐え難さにいちいち傷ついていたら怪物になるような状況ということでしょう。フィクティシャスな「出口」をほのめかして終わる「Out」に比べ、現実をつきつけられて憂鬱になりますが、自分や周囲について振返る契機になりました。
うん、確かに読み始めは「例の事件」が頭をよぎるが、実は中身は全然違うじゃん。 まずは郊外の集合住宅の生活のリアルさが何とも言えない。ああいう母親っているし、ああいう娘との関係というのも、物すごく思い当たる。 で、少女が誘拐された後の書き方がすごーく微妙で、状況がわかってきてからも読者をそらさないのはさすがである。この辺はネタバレになってしまうので詳しくは書かないけど。 助け出された後の周囲の人間の悪意のない嫌らしさも、とてもよく描いている。こういう「タチの悪い善良さ」を体験したことのある人には少々つらいかもしれないが、いつもながら人間を知り尽くしていて、見事というよりほかはない。
かなり話題作だったと思うのですが、
大した展開も無く淡々と進行していくように感じました。
それ故正直尺が長過ぎに思えて仕方なかったです。
もっとサバイバル下での人間の集団心理を描いたものかと思いましたが、
その辺は中途半端で巧く描き切れていない気がします。
なんかこの作品独特なノリもあってあまり移入出来ませんでした。
木村多江さんの身体を張った演技は頑張ってるのでちょっと勿体無い。
タイトルが「IN」なので15年前に出た「OUT]の続編かと思ったら、そうではなく「淫」だった。だからと言って淫靡な小説ではなく、筆者には珍しい純文学でした。安岡章太郎のような淡々とした文章で、今までの桐野ワールドとは一線を画す小説です。このところ「メタボラ」や「ポリティコン」「緑の毒」などで偏執的な男を書いてきた筆者ですが、この小説の主人公は小説家である自分です。相変わらず少し変わっているので、私小説なのかとも思われますが、確かなことは判りません。推理小説でも探偵小説でもないので、気楽に読む作品ではありませんが、桐野夏生の実力をまざまざと見せた作品と言えると思います。
作中に何度か「悪意がほとばしった顔」という言葉が出てくるのだが、この作品を一言で言い表すと「悪意のほとばしった小説」ということになるのだろうか。
著者に名前さえ与えられていない、語り手の“わたし”をはじめ、中心となる4人の女性の手記、手紙、日記、会話、どれもが自己中心的であり、その内容は、齋藤美奈子氏が書いているように「陰口」「つげ口」「悪口」ばかりである。しかも、それが「ですます調」で書かれているので、小説全体が異様な雰囲気となっている。
読むのが止まらない。ではなく、止めるに止めれない。そんな小説である。
著者は、この作品で読者の共感を得たいなど考えてもいないであろう。逆に拒絶されたい、あるいは置き去りにしても構わないと考えながら筆を進めたのでは、と思ってしまうほどである。
人間の心に潜む闇をこれだけ描くことのできる作家は、著者のほかに日本にどのくらい存在するのだろうか。
凄い小説を読んでしまった。そんな感じの読後感であった。
|