タレント本」でカスタマーレビュー検索すると、「ただのタレント本ではない」という文を含むレビューが沢山ヒットするが、この本は「思ったよりタレント本で良かった!」。前回「歴史から飛びだせ」は、聞き書きとはいえ、一人称「俺」で書かれ、車の話などディテールがめちゃくちゃリアルで、どうしても作り話とは思わせてくれなかった。詩人PANTAを遠目で見ていたいファンにとっては「ただのタレント本ではなく」もはや、説明しすぎに思えた。 PANTAの名前で書く「小説」だというので、PANTAには詩だけ書いてほしいのにと、不安を持って読んでみた。ところが期待?を裏切って、タレント本ふうの構成で、一人称も(前書きと後書き以外は)「僕」で、文体も別人、たとえ実話であってもそうと知らなければフィクションとしか感じられないさらっとした描写。 昔、インターネットがなくてPANTAが謎に包まれていたころは、詩をどんどん深読みして「光輝く少女よ」や「少年は南へ」にインスパイアされた同名の小説を書いてファンレターとして送ったりしていたものだ。難解だからこそPANTAの詩は私たちの想像力を無限に拡げてくれたのだ。 だから、自伝の中に、いまさら、ものすごく具体的にそうとわかるモデルが出てきたりしたら、困るのである。その点、この小説ではたとえば登場人物「田畑真弓」の存在感などほどほどに希薄で(かといって、薄すぎもせず)よかった。私は昔「光輝く少女よ」を活動家の妹かなんかで想像して小説を書いた。アニメっぽいキャラを考えて萌えた男子もいるだろうし、自分だと信じている女子もいただろうけど、そんな誰もが、裏切られなかったと思う。 1950年生まれの男の子が、大学紛争で暇で友達の家にたまってて、友達以上恋人未満の彼女は真面目に女子大でお勉強、という設定は、40年前の小説「赤ずきんちゃん気をつけて」と同じだが、庄司薫の「由美」の描き方は、どうしても上から目線になってしまうので、女子には少し、しょっぱい。その点、この本のハルオちゃんは女子大生の真弓も、ストリップダンサーのさゆりさんも、徹底的に上目使い。フランスふうの味付けで上品だ。そういえば、ママやおばあちゃんの描き方がイタリアふうでもある。PANTAのロックに合う「肉食系ラテン男」っぽい詩と、文体は全然違うのに同じ香りがして違和感がなかった。 意外に現実感が濃いのは、そういう少年が育つ家庭環境の描写だ。東京周辺で似たような環境に育った人間には当たり前のことが、こまごまと書いてあるが、カッコよりも中身でなんぼの関西や、閉鎖的な土地、父親が強大すぎる家、なんかではこういう子は育ってこない、と思わせるリアルさがある。読みやすい子育て本としてもなかなかいい線いっていると思うが、PANTAみたいなカッコイイ息子が欲しいと思う親は残念ながら日本では多数派ではないかもしれない。 こんな読み方をする元・女の子を、上から目線で見ているに違いない、コアなPANTAファンからは、全然違うレビューが出ること必至だが、昔男の子だった人は、きっと、ミュージシャンになれ(なら)なかった登場人物の誰かに感情移入して、マイ・アナザー人生?を想像しつつ、それはそれで楽しく読めるのかもしれない。
私は高校時代、頭脳警察を聞き狂っていた。夢にまで見た。当時ふと思ったのは、「40代になったら、まさか頭脳警察は聞いてないだろう」という寂しさだった。しかし、43歳になった今、頭脳警察を聞いている私。セカンドは今あらためて聞くと、完成されたロックスタンダードに聞こえる。
友川ファンんら、ぜひとも持っておいて損はないと思います。
あの伝説的ロック・バンド『頭脳警察』。ロックが若者の反抗、社会批判を、過激で暴力的な表現で代弁していた昭和40年代半ば、PANTAとトシにより結成された彼らは、赤軍三部作といわれる「世界革命戦争宣言」「赤軍兵士の歌」「銃を取れ」の、赤軍派に触発された曲を演奏し、他の曲もラジカルな批評性の元に、日本語歌詞により独自の世界を作り上げ、ロックの中でも突出したバンドとして、圧倒的に支持されていた。彼らの演奏は世界に先駆けたパンク・ロックだったのだ。昭和40年代の終焉と共に解散したが、節目節目に再結成と解散(自爆)を繰り返している。
その『頭脳警察』のドキュメンタリー映画である。3部構成で、合計5時間15分もの大作だ。2006年から2008年まで、PANTAのバンド活動から頭脳警察の再始動に至るまで、彼らに密着して撮影されたものだ。先回りして言ってしまおう。この映画は頭脳警察が存在する時代のドキュメンタリーであり、再始動・頭脳警察のプロモーション・ビデオであり、頭脳警察・再始動のメイキング・ビデオである。そしてその背景には「戦争」という各々の時代の刻印が、はっきりと浮き彫りにされているのだ。
1部は結成から解散までの軌跡を、映像やインタビューを交えて纏めている。
2部は従軍看護婦として南方に派遣されていたPANTAの母親の軌跡。そして重信房子を介してのパレスチナ問題への関わりが中心となっている。優に二本分のドキュメンタリー映画が作れてしまう内容だ。
3部は各々のソロ活動から頭脳警察再始動に向かってゆくPANTAとトシ、そして白熱の京大西部講堂での再始動ライブへ。
ベトナム戦争から、赤軍派の世界革命戦争へのシンパシー。大東亜戦争当時、病院船氷川丸での母親の軌跡を、船舶運航記録によって、戦前戦後を通底する時間軸に己が存在する事を、PANTAが確認する辺りは圧巻である。そして中東戦争とパレスチナ。現在のイランなどに対する「対テロ戦争」という名の帝国主義戦争。なんとオイラと同じPANTAの世代は「戦争」の世代ではないか。
頭脳警察はその政治性によって語られる事が多い。しかし、本来はその存在や演奏自身がより政治的な意味合いを持っていたのだ。その事を自覚することにより、PANTAは「止まっているということと、変わらないということは、違うんだよ」と言うのだ。重信を通してパレスチナ問題に関わることを、落とし前を付ける、と言うのも、かつて赤軍三部作を歌い、赤軍派にシンパシーを感じた自分自身に対することなのだろうと思うのだ。
1stアルバムが発禁、2ndも発売1ヶ月で回収、三里塚幻野祭での演奏等々、頭脳警察には常にスキャンダラスで反体制的なイメージがつきまとっていた。当時地方に住む私にとっては、時折流れてくるそのような情報に、えもゆわれぬRockの臭いを感じ取り、胸躍らせていたのである。 さてこのDVDは、頭脳警察のスタジオライブとインタビューで構成されているが、パンタとトシ自らが語る頭脳警察は、飾らない生のものであり、懐かしさから購入した私にとっては、ある意味衝撃的であった。演奏のほうも、アコギ一本でグルーブするパンタに、インプロぎみに絡むトシのパーカッションが、この上も無く心地よく、艶を失っていない歌声はPantaxWorldを紡ぎ出している。 頭脳警察を知らなかった人には初手引きとして、ノスタルジーを伴う人には再認識するために、最適であると言える。
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