クリスチャンではない人でもキリストの弟子と言うと12使徒を 思い出すのではないでしょうか。絵画「最後の晩さん」を一度は見ているはずです。 しかし、クリスチャンにとっては、12使徒と同じように、このパウロをとらえています。 一般の人のイメージでは、聖書の中には神の業が書かれていると思われがちですが、 聖書の中の大部分は人間の弱さと神の寛容さ(愛)の話です。 このパウロは、先頭を切ってキリスト教徒を迫害していた立場の人でしたが、 キリストに呼ばれて回心し、12使徒と同じか、それ以上に活躍した人です。 知らないと言うことは恐ろしいことであることを知った人なので、 パウロは人の中に住む、気づかない罪や過ちを手紙を通して多くの人びとに伝えたのです。 このパウロの手紙に書かれていることは、 とても今から約二千年前に書かれたとは思えない内容です。 現代の人が読んでも、時に優しく、時に鋭く、心に迫ってきます。 この手紙自体、分かりやすく書いてあるのですが、 曽野氏の解説や推測でさらに読み手に深い感動を与えてくれます。
割礼というとまず思い浮かべるのが男性の割礼でしたが、 女性の割礼がこんなにも多く、しかも強制的に実施されている現実は 同じ女性としてとてもショッキングでした。 早く多くの人がこの悲惨な現実を理解し、この悪い習慣が改善される事を願います。 女性はもちろんですが、是非男性も理解してほしいと思いました。
現メンバーで録音される「リボンの騎士」はライブ会場で発売されていたCD−Rに続き2回目だと
思うが、個人的にはCD−Rのversionの方がライブ感がでていて好きではある。
しかしながら誰でも入手可能である今回のCD発売は非常に有意義です。
20分を超えるこの曲をライブで聞くために割礼のライブに通うし、この曲を聞くたびに
個人的には勝手に日本最高のライブバンドであると思ってます。
是非CDを聞いて興味を持たれた方はライブ会場に足を運んでください!
20分どころか1時間でも2時間でもこの曲を聞いていたいと思うはず。
聖書には色々なマリアが登場する。その中で、聖母マリアとマグダラのマリアが最も有名で、マグダラは出身地名である。マグダラのマリアは娼婦と呼ばれ、またイエス・キリストの妻とも言われる。西洋の画家たちはマグダラのマリアを美しく描いた。レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」に、絵に向かってキリストの左側にいる人物はマグダラのマリアだと言われている。教会は美しい彼女の昇天の絵を飾って、女性の信仰を高めることに利用した。彼女は、いつもイエスのそばにいて、その後イエスが磔刑(たっけい)に処せられたとき、イエスの復活の最初の証人となった。イエスの弟子たちの中には、彼女を嫌うものもいて、聖書の中での彼女に関する記述には統一性がない。本書は学者の書いた文章で、小説家の文ではないから、内容は静かに進んでいく。美しいカラーの絵や白黒の絵が多数あって、読者の理解を助けている。マリアは聖母だけと思っている方々には、ぜひ読んで貰いたい本である。
自主制作盤なので、再発される見通しがなかったこのアルバムですが、 なんとボートラ入り、リマスタリング済みで再発。しかもさほど高くもありません。
割礼といえば語尾をひたすら引き伸ばしたようなサイケデリックが魅力でしたが、 これはまだパンク志向だった時の音源なので、ゆらゆら帝国、BLANKEY JET CITYに似たようなサウンドが聴けます。 聴き所はなんといっても「ゲーペーウー」で、最近の割礼には見られないような悪ノリが存分に味わえます。
ボートラも「ゲーペーウー」のスローバージョン、そして17分にも及ぶ「溺れっぱなし」のライブバージョンなど、 希少な音源が見事な選出で収録されています。
ただ個人的に気になったのは、「ジャケットが脆い」という点です。 紙ジャケの時点で多少は覚悟してまいりましたが、見開きではなく、レコードのようなジャケットだったので、 取り扱いに結構気を使ってしまいました。 あと歌詞カードが付いていないのも物足りなく感じました。
内容が素晴らしいので星五つですが、商品としての評価は星三つぐらいです。
これを機に、廃盤になっているいくつかのCDも再発してくれるとありがたいですが、 今度からはもっと手の込んだ作りにして欲しいです。
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