急速かつ確実に高齢化社会に向かっているせいか、老後の過ごし方やアンチエイジング、はては老人の性やお金の増やし方まで、老人・老後をテーマとする本は数多く出版されており玉石混淆の態をなす。そんな中で、本書は小著で平易な語り口(元はNHKラジオ講座テキスト)ながら、じっくりと読ませ考えさせられる本である。
本書は70代半ばの著者が、古今東西の文芸作品や映画、演劇を素材に「老いるとはどういうことか」について考察したもので、素材として選ばれた14作品はそれぞれに興味深い(中でもキケロ「老人について」、戯曲「ドライビング・ミス・デイジー」、耕治人の晩年の作品は、原著に当たりたくなる)。医学・医療の進歩で長く生かされ、美しく老いることが難しい時代に、これらの作品から、夫婦で年齢を重ねることや老いてこそ見えてくるもの、老人間の友情、近づく死の不安等について、著者自身の人生経験や小説家としての洞察力を踏まえて、静かに丁寧に説いている。
著者によれば、「老いは突然に訪れるものではなく、そこまで生きてきた結果として徐々に姿を現す(過去からの連続)」「老いることは生き続けること(死ぬまでの現在進行形)」であり、老いの一般論は成り立ち難いとある。前期高齢者突入目前の評者にとって、自分の老いを肯定し受け入れ、気負わず自然体で老いて行こうと心安らぐ思いを得た。
老人の恋愛小説って意外と少ないんですね。 「老人、恋愛小説」で検索したらこの本が出てきたので読んでみました。 文学としては美しい文章で読み応えがありました。
しかし、この小説はいったいどの世代に読んでもらいたくて書いたのでしょうか。 私の知り合いに77歳の人がいますがパソコンも携帯も自由に使いこなしています。こんな隠遁生活をしている人がどこにいるのでしょうか。 だいたい今の70代は「行き止まり」なんていわれても実感はないはずです。 60代以下ならばこんなうだうだした恋愛はいらいらしますね。 どうせもう先はないわけだし、どろどろした恋愛ではなくて、ただ寂しさを紛らわしたい。どきどきしながら残りの人生を送りたい、ということであれば、しばらく付き合ってください、と素直に言えばいいのではないですか。 こんな情けない70代がいるから、今の日本はだめになったんだなと思いました。
新聞の広告を見て思い当たるものがあり、早速ウェブサイトから購入しました。若い時は小説をよく読んだものですが、最近は趣味的なものしか手に取らなくなくなっていました。少し熱い気持ちを持ちながら読み始めましたが、進むうちに一層熱くなり、一気に読み終えてしましました。普段、身勝手な妄想を抱くことが多々あります。刺激を追い求める性格でしょうかね。読み終えて、その点、不満が少し残りました。女性が覚めた気持ちで対応しているようで、男性の熱い期待は、現実はこんなものだと思いながら、空しく過ぎ去っていった感じでした。不純な気持ちが洗われたことで、良しとしましょうか。本好きな知人の女性は、貸した本を一日足らずで読み、誰にでもありそうな出会いでしたね、の感想でした。
著者の就職活動に始まる15年間の会社勤めを通して働くこととは何かを追求する本です。私は就職活動中にこの本に出会いました。実体験に基づいた深い洞察、分析がわかりやすく記されており、自然に私の労働観を奥行きのあるものに導いてくれました。著者と私には50年もの歳月の違いがあり、果たして今の就職活動に役立つのかと初めは危惧していましたが、全く色あせることのない内容に感銘を受けました。 まだ社会人として働いていない私が本当の意味で働くことを理解するのはまだ先になると思います。しかし、こうしたことを意識して働くことでより一層労働に対する考えを深めていけるような気がします。何年か働いた後、再び読み返してみたいです。
先ず、50歳以下の所謂若い人たちに薦める本とは思わない。還暦間際の私には、成程と思う事、老いるとは滑稽であったり、心理的に肉体的にこれからこの種の経験をするのだと、事前に聞く意味があった。
全体に、軽いタッチの本で、深刻な内容ではない。人生論などとは程遠いものである。あとがきにあるように、この著書は、読売新聞夕刊に月一回寄稿された随想の56回分をまとめたものである。個々の随想が独立しており、それぞれに完結している。愉快に読むのだが、後に残るものが少ないようにも思う。
試しに、随想のいくつかのタイトルを掲げるが、それを見るだけで或る程度、内容が推測できる。「廃車宣告された気分」、「崩れゆく老いの形」、「初々しい初老男性の時代」、「友を送る−これも同窓会」、「扉にぶつかり、窘められて」、「衰えを受け入れる気品」、「歳を取れなくなった時代」、「一つ拾い、一つこぼす」、「よろめきと戯れる」、「時の過ち、場所の間違い」、「老いを受け入れる気力」、「ヒガミとアキラメ」、「年寄りゆえの忙しさ」。
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