社会科学的な視点からの教育問題を考える本。社会科学的な視点がメインで教育問題は単なる素材であり,この本によって教育問題に対する確固とした考え方が身につくわけではないが,社会科学的な方法論には親しむことができる。
教育問題を巡る世間の議論の水準を上げるため,その議論のどこがまずいのかを批判するともに,因果関係に関する考え方などについても触れているが,因果関係と相関関係は異なること(相関関係があっても因果関係があるとは限らないこと)の説明はなぜかない。
統計の見方に関する説明(pp.151-152)もかなり不適切といえる。友達がいる/いないで問題行動を起こす/起こさないに差が出るという仮想例をもとに「友達がいないと「必ず」問題行動を起こす」は間違いというそれ自体では正しい命題を述べるが,そういう見方をすれば統計で得られる情報をほとんど捨ててしまうことになる。この仮想例に即していえば「友達がいないと(いる場合に比べて)30倍以上問題行動を起こす」と読み取るべきであろう。もし教師の注視により問題行動が起きにくくなるのであれば,この仮想の統計から言えることはみんなを注視するより友達がいないケースに注力するほうが問題行動が起きにくくなるということではないか。筆者もp.122では他のことに関して「論理的には間違っていないけれど,現実に起こる確率の問題を無視しています」と述べているのだが。
筆者の考え方を述べる部分には残念ながら論理が飛躍又は破綻している箇所が多くみられる点も残念。その意味で反面教師として読むべき本といえる。
効果が数字で示せるかについて筆者は批判的なようだ(「教育で達成しようとする目標は,数字にできないものが実に多い。」)が,測定は可能か不可能かの2通りしかありえないという誤った2分法をもとに批判している点(例えばp.185)はいただけない。
また,頭痛がすることに対処するため「大根の葉っぱを足の裏に貼る」ことを,筆者が勝手にこしらえたインチキ療法だから無効であると断言する(p.173)が,このような自分の論理のでたらめさにはなぜか筆者も編集者も気が付かないらしい。筆者が勝手にこしらえたインチキ療法であることから言えるのは「有効である根拠に乏しい」ということまでであって,きちんと二重盲検差をしてみないと無効であるということはできない(検査にはお金がかかるので根拠がない療法をだれも検査しないだけ)。「勝手にこしらえた療法を有効であると主張する」のと同じ程度のでたらめさを「勝手にこしらえた療法を無効であると主張する」ことが持っていることになぜ気が付かないのだろうか?
設計士です。
恥ずかしながら「知らなかった」という部分もありましたし、読み物として面白かったです。
ウソも書いていないと思います。
しかし、この本の少し気になる所は、書き方が断定的すぎると感じました。
一般の方が読んで、鵜呑みにしてしまいそうな気がします。(今は極端な世の中なので・・・)
住宅建築は地域性、使い方などとの絡みで最終的に構造、断熱、意匠を決定するものだと私は思うので、
これを読んで、”色々な考え方があるんだなー”くらいに思って貰うほうがいいと思います。
むしろこの本の内容を施工者や設計士にぶつけてみて、答えを聞いてみるとそれで相手の建築への熱意が感じ取れるかもしれません。
間違ってもこの本通りの答えじゃないからダメ、ではないと思います。
公開当時のショックを思い出します。 斉藤慶子がキャンペーンガールとしてデビューしたときの輝き。 すばらしい水着姿の下に隠れた美しい肢体を見たときの感激。 懐かしかったです。 楽しめました。
スプーン付のコルク瓶を探していましたがなかなか見つからず、やっとこの商品に出会いました。 とても可愛いのですが、コルクが劣化のためか崩れやすくなっていて残念です。 壊れないように慎重に扱っています。
さくらちゃんは本物ナースかって思うほど、制服が似合ってる。メイキングとかで伺える性格の良さからも、ナースは向いてそう。でもそんな爽やかな娘が、最後のエッチでは快感でドンドン目がトロンとなってきます。普段のキチンとした感じとは別人になるとこが、キマす。
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