原作と比較して違和感がありませんでした。映画の限界は時間にあるので、まったくおなじ満足は得られませんけれど。それはどの本の映像化でもおなじではないでしょうか。わたしとしては、本をよんでもわからないことを、知ることができて得した気分でした。たとえば、ヨークシャーなまりのひびきとか、ムーア(荒野)の風景などなど。イギリス人ならだれでもしっているけれど、日本人にはわからないあれこれがばっちりうつっています。(作者はイギリス人)それから、じっさいに再現された花園をみられるのも映画ならではのすばらしさです。だいたい原作に忠実なはなしのつくりですが、すこし味付けもありました。しかし、それはおそらく本をよんだひとなら、ちらりとおもったであろう疑問にこたえる内容だったので、「わたしだけじゃなかったんだ!あなたもそうおもってたのね!」と興奮してしまいました。原作ではぼんやりとしていたところをはっきりと描写する場面があるのです。ぜんたいのふんいきは家族でたのしめる本格的な文学作品というかんじ。砂糖菓子のようにふわふわしたつくりではありませんが、すべての名作とおなじく、ひとのこころを傷つけません。原作ファンはじぶんのなかのイメージとくらべるおもしろさがありますし、本をよんだことのないかたはすぐれたものがたりをきがるにたのしめる良い映画だとおもいます。 あいされなかったこどもが、ひとの愛と自然のちからで、こころをとりもどす感動的なおはなしです。
第9話の本郷奏多さんの涙に、すっかりヤラレてしまいました。 以来本郷さんを愛して止みません。 4人の兄弟の強い絆が心を暖かくしてくれます。 良かったですよ。
プリキュア好きの娘に購入。 とても喜んでました。 買い物に行かなくてもネットで頼めてよかったです。
初めての性行為と、初めての性的な暴力と、どちらが忘れがたいものなのか。あるいは、初めて好きになった人と。
性的な嫌がらせは、本人の意思とは無関係に、強制的に、一方的に、人を性的な対象にする。主体性を剥奪された体験は、その後の性的な生活のすべてに影を落とす。
だが、それが望んで体験した幸せなはずの性行為であったとしても、たやすく捨て去られたときの絶望は致命的だ。会えないなんて、死ぬのと同じだ。殺されることに等しい。
あるいは、性を引き受けることすらできなくて、人間としてもどこか欠けているような私の存在を、刻み込んでくれる人を探している。いつか通じ合える他者と出会うというかすかな希望を夢見ながら。
三者三様にもがく、那由多も、淑子も、翠も、どこか他人ではない。
繊細にして残酷、潔癖で容赦のない筆には、無邪気な男性が女性の性や快を語るような幻想をさしはさむ余地がない。
かつて通り過ぎた、女子校という場、思春期という季節を、懐かしく思い出す一冊となった。
体の弱いコリンという男の子が秘密の花園の中で唱える魔法
「日が照っている、日が照っている。それは魔法。
花が育っていく、根がのびていく。それは魔法
生きていることは魔法、 強くなることも魔法。
魔法は僕の中にある、魔法は僕の中にある。
ぼくの中に、僕の中に。
魔法はみんなの中にある」
種がお日様に暖められて芽を出すみたいにきっとうまくいく
そう信じて集中すると魔法はきっとかなう
毎日飲んだくれている旦那さんに
「この飲んだくれ!」と毎日言うと
一生飲んだくれになる
大きな良きものは自分の中にある魔法に必ず応えてくれる
これはまるで引き寄せの法則じゃない?
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