娯楽の少なかった頃にウケた復讐の時代劇。
浅野内匠頭上、吉良上野介、大石内蔵介といった登場人物
その程度の知識しかなく、知人の薦めで始めて全体を知る事ができました。
大石内蔵介がいかに忠義に厚く、また知謀に長けていたか。
また、討ち入りへの思いや、四十七士の言動には、
目頭が熱くなるような場面も多々ありました。
日本で長く愛されてきた理由がよく分かった気がします。
元禄忠臣蔵は、新歌舞伎の演目。
同年には、溝口健二監督で映画化もされた。
劇の構成、筋立て、人物造形の素形はすべてこの中に入っていると判断してよいだろう。
第1編 『江戸城の刃傷』
第2編 『第二の使者』
第3編 『最後の大評定』
第4編 『伏見撞木町』
第5編 『御浜御殿綱豊卿』
第6編 『南部坂雪の別れ』
第7編 『吉良屋敷裏門』
第8編 『泉岳寺』
第9編 『仙石屋敷』※下の巻・『十八ヶ条申開き』
第10編 『大石最後の一日』
原作(戯作)は史実に忠実な作品らしいが歌舞伎と映画は作り方 が異なるのだから、この原作にこだわり過ぎるのは芸がない。 歌舞伎はヒットしたらしいが、映画の興行成績は芳しくなかった らしい。映画を見れば納得する。面白くないからである。一般的 に見たい忠臣蔵は、元禄赤穂事件を題材にしたフィクションでは ないのか。私は役者の演技については評価するだけの目を持って いないが、仮にいくら演技がよくても話が面白くなければ魅力は 半減する。
また、史実に忠実な原作を基にしたという割には変な場面がある。 たとえば、 甲府中納言(後の6代将軍)と赤穂浪人の一人とのやり取りで赤 穂浪人の態度があまりにも不遜 浪士切腹直前に変な女が出てきて、切腹前の厳かな雰囲気をぶち 壊し 大石内蔵助の切腹がなぜか一番最後 (皇室崇拝の場面が2か所あるが、これは時節柄仕方がない)
決定的にダメなのは討ち入りの場面がないこと。原作にないこと と実際に斬りあいを見たり経験したことがないというのが理由ら しい。日本映画史を代表する監督の一人らしいが、それなら自ら が生きていない時代の映画など最初から撮れないのではないか。
映画ファンからすれば見どころはあるらしいが、忠臣蔵ファンか らすれば退屈な作品。
馬琴の著作ほど読者に盛衰の時代があって、冷熱の時期をくぐってきたものはなかろう。このまでもてはやされていた馬琴作品は、坪内逍遥の『小説神髄』で勧善懲悪の戯作文学として否定された。
青果の馬琴資料に対する、まず資料の読みの恣意性を排して、おるがままの形をあるがままに読解していく学究的な姿が一貫している。改めて資料を読み直すと、かつては厭わしく思えた彼の性癖の一つ一つが、かえって人間としての弱さや正しさの証しと見え、しみじみと心に迫ってくる親しみを覚えたという。自身の好悪、感情をむきだしにして対象に迫りながら、あくまでも具体的な筆致で客観的な説得力を失わない、青果の学究的馬琴伝である。
毀誉褒貶にかかわらない、文豪馬琴に肉迫し、肖像画を描いたと言えよう。
|