音楽趣味の漫画家が、作品が売れたお陰でCDが出せる…と言う側面はあると思いますが、(実際それはあると思うし)「20世紀少年」11巻初版に付いていたCD、ケンヂ作「ボブレノン」がいたく気に入っていたので購入しました。声質、歌いかた、歌詞の面など、漫画家でビートルズマニアの、ますむらひろしさんと共通する感じがあります。多少くもった声でプロの歌手とは違うのですが、魂はきっちり入っている。色々な音楽を聴いて、今それが噴き出している。そんな感じ。一曲目の「洪水の前」なんてかなりお気に入りです。 ラスト曲ボブレノンのバンドバージョン。エンディングの白井'ムーンライダーズ!良明氏の斜め45゜あたりからやって来るギターソロはたまらんです。 20世紀少年ファンなら、ケンヂのアルバムとしても聴けるかも。 浦沢さんにはあと二枚位、アルバム作って、アコギがしゃがしゃかき鳴らしながら全国ツアーやってもらいたいです。
結果 可もなく不可もなく 手塚治虫氏が褒めて下さろうベストなまとめ方できました。めでたしって感じ。とは言いつつ「アトム」読んだことありません。けど、ラスト一巻は何故か無難に感じてしまう。そうまとめないと原作反古になる!を、乗り越えて はっちゃけて ぶち壊して 欲しかった。たぶん 神様も 楽しみにしてらしたと思います。
映画『20世紀少年<第2章>最後の希望』(堤幸彦監督)は2009年1月31日に公開された作品である。本作品は浦沢直樹のSFサスペンス漫画『20世紀少年』『21世紀少年』を原作とする実写映画である。映画は3部作になっており、本作品は第2章になる。
第2章はケンジ(唐沢寿明)の姪のカンナ(平愛梨)が主人公的存在である。時は西暦2015年で、第1章では幼児だったカンナも高校生に成長した。2015年の日本は救世主とされた「ともだち」が支配する社会になっている。2000年の「血の大みそか」はケンジ一派のテロと濡れ衣を着せられた状態である。行方不明のケンジに代わり、カンナやヨシツネ(香川照之)、オッチョ(豊川悦司)は「ともだち」の正体に迫る。
第2章も第1章に引き続き、原作の雰囲気に忠実である。ストーリーも原作をなぞっていたが、長編漫画を映画にまとめる関係上、省略されたエピソードも多い。そのため、次第に日常が非日常に侵食されていくという原作の不気味さは弱まっているが、一気に見せる映画の性質上止むを得ない。一方、「ともだち」の正体は原作とは異なり、第2章の最後になっても分からずじまいで、第3章のお楽しみとなっている。この点は原作と異なる内容になる可能性があり、第3作も観なければならないという気にさせられる。
オーディションで大抜擢されたカンナ役の平愛梨をはじめとしてキャストの好演が光った本作品であるが、不気味さを怪演していたのは高須光代(小池栄子)及び彼女の率いる「ともだちランド」スタッフである。高須らは「ともだち」教団の裏仕事を担当するが、悪事をしているという後ろめたさを全く感じさせないハイテンションさが不気味である。
第1章でケンジの経営するコンビニを襲撃した集団は、いかにも洗脳されている狂信者という印象であった。これに対し、高須らは非常に軽い。命令に対して「サンキュー」や「喜んで」と答える。まるでサービス業の接客マニュアルのような応対振りである。それがかえって怖さを感じさせる。
「ともだち」の組織はカルト的な宗教団体である。それが自作自演のテロ事件を起こし、日本を支配することになる。現実にもオウム真理教による地下鉄サリン事件などが起きており、決して荒唐無稽な話ではない。それでもカルト組織は通常の市民生活を送る人々にとっては縁遠い別世界の話である。
ところが、高須らの集団は日本社会に普通に存在するサービス業従事者のような行動規範である。ここには企業組織が容易に全体主義の歯車に転嫁してしまう怖さがある。実際、多くの企業不祥事は企業内部の常識が世間の常識とずれていたために起きている。企業の内部にいると、社会的には悪いことをしているという感覚が磨耗してしまう。
記者も東急不動産(販売代理:東急リバブル)から不利益事実(隣地建て替えなど)を説明されずにマンションを購入して裁判で売買代金を取り戻した経験がある(林田力『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』ロゴス社、2009年)。その時の東急不動産の課長(当時)の論理は「隣地建て替えを説明しても、もし建て替えられなかったならば問題になる」という消費者の利益を無視した身勝手なものであった。消費者の立場を理解しようとしない東急不動産従業員には宇宙人と話しているような不気味さがあった。同じ不気味さが高須らの集団からも感じられた。
カルトという特別な集団だから問題なのではない。普通の企業であっても、間違った方針の下、構成員が思考を停止し、歯車になってしまえばカルトと同じような暴走をする。異常なカルト教団が社会に浸透する恐怖を描いた第1章に対し、第2章ではカルトに限らない全体主義の怖さがある。そして一見するとソフトな全体主義こそ、現代日本において第一に警戒しなければならないものである。その意味で第2章は前作にも増して社会性が深まった作品である。
ストーリーを考える人と漫画を描く人が別担当なのが大きく成功していると思います。ストーリー展開やそのプロッティングは短編小説を読んでいるかのよう。漫画かそうでないかを抜きに楽しめます。日英のハーフで、考古学者にして保険調査員キートン・太一が主人公。ユーモアがあってクールなんだけどクールになりきれない主人公やその他の端役も魅力的な個性を持っていて楽しい。
漫画家が漫画描いてるとこ見たら、鼻血ダダ漏れって人におススメ。 作業場とか、使ってる道具とか、ウキウキが止まりません。 ほいでコレ観るまでは『こんなオモロイ漫画描けるヤツ、イコール、キモい』て決めてかかってたけど、いいえ、 浦沢直樹カッコイィ。上司にしたいナンバーワン。仕事の出来る男のトークを欲してる人におススメ。
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