1975年度、高橋英樹31歳のときの作品です。それまで日活で刺青を彫った任侠映画のイメージが定着していた彼にとって、久しぶりの現代もの、しかも新宿署の刑事という役柄です。 地方から上京して来た兄と妹、この兄が妹を思いやる気持ちの行き違いがドラマの大きなテーマです。いまどきは少し古風に感じられるストーリー展開ですが、でもこんな兄と妹がいたら、いいと思います。 妹を演じる秋吉久美子が初々しく、高橋英樹に代わって抱きしめてあげたい位でした。 古い映画にしては、デジタルリマスターされているので、画像もまずまずです。
痛快なテンポでとても楽しめました。
ただ、最後がちょっと残念。映画The Sting張りの気持ちの良いラストを期待してたのですが、そう持ってはいけない時代だったのでしょうか?
後書きによると、泥棒村を組織化するって、似たようなケースが丁度あって、それを新聞で読んでヒントを得たけれど、中身は完全創作ということですが、実施の泥棒軍団が再犯で捕まったとき、自分たちは「白昼堂々」のモデルと取り調べて言ったとか・・面白いですね。
当時はとても有名な小説だったのでしょう。
上巻ではまったく売れなかった志ん生も、下巻に入って四十を過ぎたあたりから、徐々に売れ始める。だけど、何で売れ始めたのか?決定的な転機があったようには思えない。こればっかりは風向きっていうか、流れっていうか。ひとつ言えるのは「続けていたから」ってことだろう。もちろん、続けていたからって誰もが売れる訳じゃない。そこは運だ。でも続けない限り、チャンスはそこで途絶えてしまう。まぁ志ん生とは比べられないけど、きみまろだってこだまひびきだって、続けていたからこそのブレイクなんじゃないだろうか。
志ん生が、カミサンもらって子供3人出来て四十過ぎてから売れたってのは、芽が出なくても夢を追っかけ続けている人にとっては希望である。一方で「カミサンも子供も食わしていかなくちゃいけないし」とか「俺もいい歳だし」って御託は言い訳でしかなくなる。志ん生がある程度食えるようになって、当時二十歳の長男・清(金原亭馬生)に言った「まだ若えな。大きい薬缶は沸きが遅いんだ。焦ることはねえ。(中略)小鍋はじき熱くなるが、さめるのもじきだからな」なんて言葉も、志ん生だからこそ説得力を持つし、ジーンと勇気が沸いてくる。
ところで、下巻はこうした志ん生の名言が多い。「酒がいちばんいいね。酒というのは人の顔色をみない。貧乏人も金持も同じように酔わしてくれるんだ」とかね。
下巻の後半は、前座時代の“仲よし”、ゲロ万こと小西万之助を皮切りに、どんどん仲間が死んでいって、悲しい。妻のりんが死に、文楽が死に、そして志ん生にも寿命がやってくる。享年八十三歳。体調を崩し最後の高座から五年たっても死ぬまで独演会の望みを捨てなかった、その芸人としての生き様が美しいし、うらやましい。上巻は星四つ付けたんだけど、上下巻通して文句なしの五つ星である。
この上巻では志ん生は全く目が出ない。真打にはなるが客は呼べない。
祝儀にもらった羽織を板の上で着る前に質入したり、
古今亭馬生なんぞといういい加減な名前を勝手に名乗ったり
はなし家をやめて講釈師になってみたり、
ぞろっぺえにも程がある。
しかしうまい客に気に入ってもらえる、はなし家になるんだという気持ちは一生持ち続けていた。
若き圓生、正蔵、そして文楽も登場し始め、物語は一気に下巻へ。
ちなみに出囃子というのは大正年間に大阪から東京にもたらされたものだそうである。
懐かしくもあり、こわくもある作品が勢揃い。
たとえば、『拝啓天皇陛下様』(1963年制作)。
これほど過激な題をつけた映画初めて。
「私は昭和6年1月10日に、岡山の歩兵第十連隊に入隊しました」がプロローグ。
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岡山県北・津山出身のヤンチャ坊主山田正助を演じるのは渥美清。岡山弁を話す渥美清。かれにとって軍隊生活は天国だ。2年間飯が食えるのだ。昭和6年から昭和25年にかけて彼の人生をかたり続けるのはインテリ小説家の長門裕之。その妻は左幸子。
なぜ、「拝啓・・」になるのか。山田正助は文盲。中隊長は加藤嘉。識字教育を行うことにした。教えるのは藤村寛美。正助は初めて手紙を書いた。
「拝啓天皇陛下様」。
無茶だと中止させたのが長門裕之。
なつかしい遊郭・中島も出てくる。天皇の赤子として、戦前も戦争中も敗戦後も生き続けた山田正助。中村メイコと所帯をもつだんになり巨大自動車にはねられ死んでしまった。
「拝啓 天皇陛下様/陛下よ/あなたのさいごの赤子のひとりが/この夜/戦死をいたしました」でフィナーレ。
この映画は多くの問題を一杯ほうり込んである。監督、 野村芳太郎はやはり偉大であった。
もちろん、渥美清はいうにおよばず。
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