重厚な映画とはこの作品のことをいうのでしょう。しかし、肩も凝らず、
長時間緊迫感を保って決して飽きさせません。後年カラーの松本清張作品や
市川昆の横溝正史作品が流行しますが、その映画としての原点は此処に
あります。永遠に旧さを感じさせない、日本映画の金字塔だと思います。
長野県上田市にある有名な美術館・「無言館」館主の窪島誠一郎さんが書き下ろした「父 水上勉」。”なぜ自分を捨てた父を許せたのか”というおだやかではない副題がついていますが、水上勉という作家にせまるうえで大変おもしろく読ませていただきました。
水上は窪島誠一郎さんの「信濃デッサン館」にヒントを得て1985年春、おおい町に「若州一滴文庫」を創設します。 実は窪島さんは「いいかげんな施設をつくったらこれまでの業績や文名を汚すことにはならないか」と、水上の施設建設には反対だったそうです。 しかし水上は断固として故郷での建設にこだわります。水上勉は幼いころから干ばつ被害に苦しむ若狭の農民をみつめてきました。儀山善来という和尚さんにうけた「一滴の水もムダにしてはならぬ」という教えは水上の文学の支柱になったのです。
ある日、若州一滴文庫でとりくむ「竹人形芝居」を皇太子ご夫妻に観ていただくことになりました。 水上は、エッセイ「若狭日記」でこう書きます。
「…人形芝居をやっている文庫のことを殿下夫妻に知っていただくことも光栄だけれど、これまではめったに、行政当局が、関心を示さなかった私たちのろうそく劇場に、握手をもとめてきたことによろこびをおぼえた。ところが…(会場が)町の福祉センターときまり…がっかりしてしまった」 「福祉センターというのは、原子力発電建設の見返りに、町当局が莫大な助成金を頂戴した鉄筋の近代建築…辺境の海岸町のセンターとしては、福井県下でもめずらしい近代設備のホールで町の自慢にしているもの…私が、一滴文庫をこの谷に建立したのも、むやみに電燈をつかいすぎる傾向への現代生活への抵抗から、わざわざ、ろうそくの灯の似あう茅ぶき農家を改装した劇場運動がやってみたかったからである」
電燈をすべて消してろうそくに火をつけて演じた「竹人形芝居」。ろうそくの妖しい芝居には皇太子ご夫妻も心をうごかされ、子供たちや老人の熱演をねぎらわれました。
この上演はチェルノブイリ事故の直後のことでした。 このエッセイにこめられたものは、11基もの原発が稼働し、さらに3基を増設中だった故郷若狭への、なによりそれを許容し推進ている文明そのものへの水上勉の警鐘であり、憂慮でした。
「無批判に原発に依存しつづける現代社会への、一作家としてのひそやかな、ろうそく一本の抵抗があったのではないかと想像するのだ」と窪島さんは書きます。
水上勉の反原発小説「故郷」にはこういう一節があります。米国のマンションに暮らし、「原発のある若狭に帰るのは危険」という息子に老母が話す言葉。 「日本はいま、世界一のお金持ちになれた…その原動力を国に提供しているのが若狭なのよ。ママの故郷のお爺さんやお婆さんがいなければ、日本の今日の発展がなかったかもよ。そんなにママの国をいじめないでよ。山も海もきれいなところなんだから…あなたたちだって海水浴にいって大喜びで、いくらむかえにいっても晩まで帰ってこなかったじゃない。すてきな村だいってたくせに」
9月に儚くなられた水上勉氏の作品の中で,私は一番気に入っている。これは児童文学であるけれども,勧善懲悪でなく,きれいごとでない真実を描いているからである。生き物は,他の命を奪ってまでも,食べて行かなければ生きられない。でも自分が死にそうになったら怖くてたまらない。当たり前のことのようだが,児童文学の世界では,へび,おおかみなど,悪役は悪役にされっぱなしだと私は思っている。しかし,この作品の中では主人公のカエルさえ他の命を取って食べている。そしてそれを正々堂々と受け止めている。へびも,ねずみも,すずめも,もずも,鳶さえも,「悪役」ではないのである。劇団青年座による,この作品の舞台も素晴らしい。必見である。
2時間ドラマでおなじみの山村美沙サスペンスと同列に考えてはいけないが、この『雁の寺』も京都を舞台にしたサスペンス・ドラマだ。イメージとしての京都は、どこか閉鎖的で排他的。奥まったところにある寺では、何かが起きそうな予感さえする。(あくまで私のイメージだが)
戦前の昭和初期のころが舞台。寺には独身の中年住職と13歳の小僧がいて、そこに女が加わる。修行僧の時からずっと独身を通して来た住職には、長い間の禁欲生活から解放された激しさがあり、朝も昼も女を求める。だが、そんな房事を秘かに覗く者が・・・とまぁこんな展開だ。
この小説は冒頭のところからしてサスペンスらしいストーリーを展開してくれる。日を置いて続きを読むような悠長な読書はしていられず、わき目も振らずページをめくりたくなる隠微な世界が広がる。 作中、問題を解決しようとする刑事もいなければ、探偵なども出て来ない。事件は起きたまんまになってしまい、真相は藪の中だ。 そのせいかどうか、この小説の背景は暗く、狂信的な孤独さえ感じられる。犯人がすぐに誰なのか分かってしまうだけに、意外性のようなものは感じられないが、じゃあ一体なぜ犯行に及んだのかという理由は謎だ。おそらく時代性とか、登場人物(この場合、犯人)の出自が大きく影響しているに違いない。
『雁の寺』という小説には、底知れぬ鬱積した怨念を感じ取らなければいけないのかもしれないが、今を生きる私たちは“サスペンス・ドラマ”として読むのが一番適しているような気がする。著者である水上勉も、平成を生きる若い世代に、過去の喪失を汲み取って欲しいなどとは望んでいないに違いない。
既成のミステリー小説に少々飽きて来た方、この作品では本物のミステリーを味わうことができる、かも。
【余談】新潮文庫の『雁の寺』は、『越前竹人形』と2本立てになっている。こちらもかなりイタイ小説。
特撮シリーズのCDでこれだけのヒーローが揃っているのはこの「特撮テレビヒーロー主題歌集」のみです。惜しむべきは「仮面ライダーシリーズ」が抜けている事です。しかし、それを差し引いても及第点です。 私も30代半ばになりますが、このCDを聞いて25年前頃を思い出してホッとしています。特撮&アニメは頭の隅っこに残っていて、何故か忘れる事がありません。その為、ヒョットした瞬間に口ずさんでしまいます。皆さんもそのんな事はありませんか?ぜひ、このCDを購入して聞いて見てください!
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