版権切れのため生産中止につき、在庫(と中古)のみの販売となっています(アイ・ヴィー・シーに確認済み)。2005年版、2006年版、2010年版、いずれも全く同じ内容ですから、一番安価なのをお求めになればいいです。ただし、山田宏一氏他の執筆による説明書は2010年版(赤い
ジャケットの廉価盤)には封入されていませんので、ご注意ください!(※なお、シャブロルの処女作『美しきセルジュ』のDVDにも、全く同じ内容の説明書が入っています。)
クロード・シャブロル第二作目の『いとこ同志』は、1959年3月に劇場公開され、
パリだけで25万以上の観客を動員し(トリュフォーの『大人は判ってくれない』、ゴダールの『勝手にしやがれ』などに次ぐ動員数)、
ベルリン国際映画祭で金熊賞を獲得しています。価格もお手頃、画質も(少し丸いゴミのようなものが見られますが)そんなに悪くなく、興味ある方にはおすすめです。
1950年代末、カルチエ・ラタン(
パリの学生街)の「青春群像」とも言えるこの作品、決して観て楽しくなる映画ではありません。
それどころか、鑑賞者にとって「居心地の悪さ」はたいへんなもの。聞きたくもないことをズケズケ言われる感じです。なのに、抗いがたい魅力があるのも事実。傷口をさらに自分の指で押し広げて、その痛さを確かめるような妙な(マゾヒスティックな)快感を覚えます…。
対照的な性格のイトコどうし、都会的で背徳的、女たらしで要領よく立ち回るポール(ジャン=クロード・ブリ
アリ)と、純朴でまじめで不器用な「好青年」シャルル(ジェラール・ブラン)。
美しい女子学生、フロランス(ジュリエット・メニエル)に一途な恋をしたシャルルですが…。
まるで、彼の「好青年」ぶりをあざ笑うかのように、二人きりのはずのドライブは邪魔が入り、デートの約束は時間を間違えすれ違い…と何もかも上手く運ばず、結局は、ポール、シャルル、フロランスの三人の奇妙な共同生活が始まります。
パーティや悪ふざけ、異性との交遊に明け暮れるポールとその仲間たち。
定職を持たず、ポールに寄生しているクレヴィス(クロード・セルヴィル)という、怪しくイヤラシい地獄の使者のごとき中年男(←ほんとにイヤな感じです。)や、尻がるでコケティッシュな女子学生フランソワーズ(あまり出番が多くなくて残念ですが、ステファーヌ・オードランがとってもチャーミング!)ら脇役の人物造形が、背徳的なムードを助長しています。
この映画、音楽の使い方が絶妙です。
ポール・ミスラキのスコアがすばらしく、爽やかなメロディーは、躍動感あふれる映像とともに、つかのま青春の息吹を感じさせ、一転してジャジーでけだるい曲調が、彼らの「行きどころのなさ」を…。
ポール自ら要所要所でレコード盤に針を置く、
モーツァルト(40番)やワーグナー(『トリスタンとイゾルデ』『ワルキューレの騎行』)は、彼らの「危うい均衡」をゆるがすように鳴り響きます…。
サスペンスとしても面白い脚本はもちろんのこと、キャスト、音楽、
美術、そしてアンリ・ドカ(カメラ)の美しい映像、どれもこれもとてもいい(と思います)。
「なぜ、このような映画を作ってしまったのですか?」
と聞きたくなる不条理で、冷徹な視線を感じさせる映画ですが…。「善悪」でジャッジせず、ものごとを丸ごと映し出している感じが、なんとも魅力的です。
★ラストを知らずにご覧になった方が良いので、解説などお読みになる際はご注意を!
処女作「美しきセルジュ」(57年)と対を成す作品と言えますが、シャブロルは前作で得た好評(と資金)をバネに、より大胆に伸び伸びと製作したように感じます。どのシーンも活き活きと力強く、全編テンポ良いリズムで展開して、傑作の名に相応しい。
主演の二人もこちらの方がハマリ役だし、モダン
ジャズとモーツアルトやワグナーの音楽も効果的に使われています。主に2箇所で見られる大胆なパン撮影も、当時の制約から解放されたものだったでしょう。ストーリー自体も容赦ない現実を突きつけています。
いとこのポール(ジャン・クロード・ブリ
アリ)を頼って、進学のため田舎から
パリに出てきたシャルル(ジェラール・ブラン)。二人は同じ学生でもあったが、シャルルが母親の期待を一身に背負って生真面目な一方、ポールは大金持ちの叔父から預かった豪華なアパートメントで享楽的な生活を送っていた。
ポールが早速シャルルを高級スポーツカーに同乗させ、
パリの名所案内をするシーンは、まさにヌーベルバーグ的な躍動感!ゴダールも羨ましがったに違いない。
ポールの乱れた交友関係が明らかになるにつれ、次第に本性を現してくる都会のデカダンス。シャルルが勉学に励みに来たつもりのアパートメントで夜な夜な繰り広げられる乱稚気パーティーとその後の倦怠は、初めて若き当事者たち自身によって活写されたことによる生々しさを伴って、ヌーベルバーグの真骨頂を表しています。
ポールたちの刺激の強い毒気に感化されながら、シャルルは勉学と恋に心を砕くのだが…。
実はハッピーエンドも用意されていたというラストシーンは、唯一やや劇的な演出となっていますが、それがより結末を印象付けると同時に、フィクションであることを呼び覚ます効果もあるように感じます。この場面こそ、恐るべき若者たち(ヌーベルバーグ)が戸惑いながらも、旧来の価値感を死に追いやった瞬間ではないでしょうか。