本書は「漏(アーサヴァ)があっても天国には往けます。しかし、修行の世界では厳しく言います。修行の立場から考えると、欲・漏があると、その人が、その生命が、その状態のままで、一歩も成長しない。進めないのです。」(p.19)と述べている。
しかし、この説明は読者に誤解を与えかねない。すなわち、在家者の場合は欲・漏があるので、一歩も成長できない。その在家者が出家修行者になった瞬間に欲・漏が消える訳ではないので、出家修行者になってもやはり一歩も成長できないことになる。論理的にはこうした矛盾に導かれてしまう。
さて、パーリ仏典律蔵『大品』には、在家の若者ヤサがブッダ釈尊の説法を聞いて第一段階の聖者シュダオン(預流、七来)になった。その後、ヤサの父親もブッダ釈尊の説法を聞いてシュダオンになるが、一緒に聞いていたヤサは最終(第四)段階の聖者アラカンになった。ヤサも彼の父親も欲・漏が消えていない状況で釈尊の説法を聞いただけで、それこそ何歩も成長したのである。
アラカンになったヤサは、その後、長老ヤサとして『テーラーガーター(長老偈)』(邦訳名:仏弟子の告白)に「美しく化粧し、立派な衣服を着け、あらゆる装身具で着飾った(栄華の生活を送った)が、(いまや)私は三種の明知を証得し、ブッダの教え(の実行)を成し遂げた」という詩を残している。
このことは、どう考えるべきか?
ブッダ釈尊によれば、凡夫(在家者)が三結煩悩(有身見、疑、戒禁取)を断じればシュダオンになり、その瞬間から六道輪廻に戻ることはなくなり、欲・漏を断じた「質」に応じて、第二段階のシダゴン(一来)、第三段階のアナゴン(不還)を順番に昇級するか、飛び級でアラカンになるかが決まるのである。
ブッダ釈尊の基本的な教法を、釈尊自身の論理に従って整理したのが次に示す結果である。
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菩提分:慧1 ⇒ 信 ⇒ 戒 ⇒ 勤 ⇒ 念 ⇒ 定 ⇒ 慧2
道 諦:身1(色) ⇒感情1(受) ⇒ 心1(想) ⇒ 感情2(受) ⇒ 身2(色) ⇒ 心2(行・識) ⇒ 無明
八正道:正見 ⇒ 正思惟 ⇒ 正語・正業・正命 ⇒ 正精進 ⇒ 正念 ⇒ 正定 ⇒ 正見
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これが、釈尊が伝えたかった欲・漏の「質」を断じる基本的なアプローチである。最後の正見は八正道を実践できた時に現れるアラカンの正見である。
作りがしっかりしているので、安心です。片側ス
プリングが効いています。調整もしやすいです。 80mmよりも60mmのほうがよかったかも
見た目がカッコイイです
私の住む街にはこども用のアームカバーが売ってないのでこちらで購入させていただいたのですが、6双セットでこの値段は安いですよね。これをつけて、支援センターなどに行くと可愛い!見たことない!と褒めてもらい子どもも喜んでます。良い買い物できました。