「くそくらえ節、がいこつの唄」に始まる岡林の歌作りは、「友よ」に至り、歌がひとり歩きし、一躍、時代の寵児となった。これは岡林が望んだことでなく、されてしまったと言い換えた方が正しいだろう。時代をとらえ、時代にマッチした歌作りをしたという点で、60年代末から70年代初期にかけて、岡林の右に出る者はいなかった。
岡林は若者たちの代弁者として、御輿に祭り上げられ、若者たちから過度な期待を受ける。それに嫌気がさし、身の危険を感じた岡林はフォーク界の神様を捨て、学生運動や歌の世界から隔絶した田舎へ隠棲する。
称号などにまったく固執せず、そんな呼び名自体も岡林にとっては余計な荷物でしかなかったに違いない。
岡林はそうした荷物を置き去りに、田舎で家を借り、稲作や畑仕事に精を出す日々を送る。
過疎の村で暮らし、正常さを取り戻しつつあった岡林は演歌を作る。それが美空ひばりの目にとまり、楽曲を提供している。岡林自身もそれまでのフォークを捨て、演歌アルバムをリリースするが、帰ってきた演歌・岡林への評価は厳しいものだった。ファンは、フォークの岡林を期待していたのだが、それを知りつつも、自分の好きな音楽を演る、という意味で岡林ほど正直な人はいないだろう。
このアルバムは岡林の家から偶然見つけたテープ音源だという。演歌アルバムを出した直後なので、曲の構成は演歌アルバムが中心となっている。
村を出てひさしぶりのコンサートで、会場には美空ひばりも来ている。終盤には美空ひばりが、岡林の要請に応えてステージに飛び入りで歌うというハプニングが収録されている。これが、本アルバムの目玉だが、岡林の声は隠棲したとは思えないくらいハリがある。
このような、時代を知るには貴重な音源が世に出るのは、ファンにすればとても嬉しいものだ。
その岡林は11月に金沢にやってくる。
アンテナを張って生きていると名作は風の便りに「噂」が流れてくる。私は、ビートルズ、ビーチボーイズ専門、日本語は意味が即伝わるから聞かなかった(変な言い訳?)。いわゆる一般のフォークシンガーの唄は聞こえてきたけれど感動はしなかった。でもこれは本当にいい出来です。これ1枚で日本のフォークソングの歴史を書き換えたように思う。戦争反対、弱いものの味方、原子爆弾反対、等々の単純な世界から一歩(数歩)進んだ世界が展開されている。「わたしを断罪せよ」もうタイトルから難しくなって今もってよく分からんような??発売された時期もこれを受け入れる時代になっていたように思います。今の若い人が聞いたらどう思われるか見当もつきませんが。「やはり名作」には違いありません。
岡林さんが、なぜに「エンヤトット」にのめりこんでいったか。
その時々のアルバムがどのような局面の中で製作されていったのか
手に取るように分かります。「バンザイなこっちゃ!」よりも
数段中身が濃いです。前作は、自分の心情中心で、係わりのあった
人の話は、あまりでてきませんが、今回は共に演奏したりアルバムを
作った関係者との話が、とても興味深いです。
>>エレキを引こうとしたら、細野さんに「岡林さんやめてくださいよ」と
とりあげられ、アコースティクギターはろくに音をださせてもらえな
かった話。ライブで絶叫して歌うのは、日頃、はっぴい内では思うような
ギタープレイを自重させられている鈴木茂さんが、解放の時とばかり
猛烈に唸らせるので、負けじと大声を出さないと歌が聞こえないため。
など、など、楽しくなる話が満載です。
この本に書かれた、節目になるアルバムを聞きこみ、エンヤトットも
極めたいと思います。紅白のサプライズは、Yさんもよかったですけど
岡林さんに中継ででてほしいですね。(テレビ出たいのに中々呼んで
もらえないんだと、文中の本人の弁)
2011年に急逝した、レイ・ハラカミ氏。本作中「ペチカ」で参加している。
このコンピシリーズは、日本の曲の可能性の再発見に多大な貢献をしているが、
この「ペチカ」を聴くたび、ハラカミ氏のこうした仕事がもっと続いていたらと
悔やまれてならない。いい仕事です。
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